茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

茨城反貧困メーデーinつくば 死ねと言われている気がするのdeもするメーデー

組合員加藤からの投稿です。

 

茨城反貧困メーデーinつくば 死ねと言われている気がするのdeもするメーデー

 2021年5月1日(土)14時~ 

つくばセンター広場ペデストリアンデッキに集合。1時間ほどつくば駅周辺をデモ。

参加費 無料

 

つくばセンター広場ペデストリアンデッキ茨城県つくば市吾妻1丁目10−1、つくばエクスプレスつくば駅A3出口すぐGoogle マップ

 

主催  茨城反貧困メーデー実行委員会    電話  090-8441-1457(加藤)
メ ー ル  ibarakiantipoverty@yahoo.co.jp
ブ ロ グ  http://ibarakiantipoverty.hatenablog.com/
ツイッター https://twitter.com/ibaraki_mayday

 

職場で、学校で、社会から、追い詰められて「お前はいらない」「死ね」と言われていると感じている人は、これまでも決して少数ではありませんでした。職場でいじめにあっていたり、厳しいノルマに追い立てられて長時間残業を強いられている人、借金で首が回らなくなっている零細企業の経営者、勇気を振り絞って生活保護の申請に行ったのに窓口で所持金が多過ぎるとか若いんだから仕事はあると追い返された人・・・私たちの社会はそうやって多くの人を排除しようとしてきました。

 コロナ禍の今、さらに多くの人たちが、死ねと言われていると感じています。営業時間短縮を強いられた飲食店店主、仕事がなくなり、あるいは極端に時間が少なくなって収入が減った労働者、感染症対策もろくに取られないまま働かざるを得ない非正規労働者、DVから逃げていたり、様々な事情から住民票を手にできない人たち。これらのリストは、あなたが周りを見渡せばいくらでも増えていくでしょう。

 バブル崩壊以降、この国は非正規労働者を増やし、大企業や金持ちを優遇して、生活が苦しいのは自己責任と言い続けてきました。今回のコロナ禍は感染症の世界的な流行が原因とは言え、相変わらず自己責任を基本とした穴だらけの政策を行っている政府による人災の面もあるでしょう。そもそも、新自由主義的な政策で医療や社会保障を切り詰めた結果として今の社会があるのではないでしょうか?

 当たり前のことですが、誰だって生きていていい。「死ね」と言われることなどあってはならないはずです。政府の政策が死ねと言っていると思えるのなら、「ふざけるな!お前が間違ってる!」と言い返していい。それは相手が職場の上司だろうが同級生であろうが同じことです。

 五月一日のメーデーは、世界中の労働者がこの日に労働者の権利を掲げて「私たちの姿を見ろ、私たちの声を聞け」と行動をする日です。コロナ禍の中でデモのないメーデーが増えていますが、コロナ禍の中で「死ね」と言われているからこそ、むしろデモで私たちの声をあげましょう。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(496)『イデオン』を見て早朝の街中に放り出される

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(496)『イデオン』を見て早朝の街中に放り出される
加藤匡通
四月×日(金)
    二十何年振りかに池袋のシネコンで『伝説巨神イデオン接触篇・発動篇』を見た。ネットカフェで上映に気付いた時は思わず声を上げたよ。公開当時は「ダブルリリース」、要は二本立で一挙公開と唱っていたのに今回は『接触篇』『発動篇』を一本ずつとして二本分の料金、しかも音響のいいスクリーンで上映するので特別料金で一本二千百円。元があの時代のテレビなんだからモノラルじゃないかと思うんだけど、とにかく劇場で『イデオン』が見られるんならいいや。
    親しい友人は旧『エヴァ』劇場版の凄惨なネルフ基地殲滅戦を「『イデオン』見てたからそんなに凄いとは思わなかった」と言っていたが、確かに『発動篇』は凄まじい。主人公と心を通わせた少女の首が爆発で画面を横切りタイトルが出る冒頭から言葉を失うが、物語は容赦なく進行し、白兵戦でヒロインの顔面に銃弾が撃ち込まれ、幼女の頭が吹っ飛ぶ、「皆殺しの富野」そのものの展開である。それでも、と言うかそれだからこそコスモの「こんな甲斐のない生き方なんて、俺は認めないぞ。」やカーシャの「じゃあ私たちは何のために生まれてきたの!」と言う台詞は今でも激しく僕の胸を打つ。「あの時代、 僕たちにとって作家とは富野のことではなかったか」とは山田玲司の言葉だが、確かに八十年代のアニメファン、SFファンにとって作家とは誰よりも富野喜幸のことだったと思う。
    さて、劇場版『伝説巨神イデオン』は三時間を越える大作で、終映は十時半近い。それから家に帰ると十二時近くで翌朝四時起き六時十五分事務所集合はかなり辛いので、ネットカフェに泊まった。いくつまでこんなことしてるかね?映画とネットカフェで日当の半分がなくなっている。しかし『イデオン』なら仕方ない。
    で、翌朝六時過ぎに事務所に着いて、その日の割り振りを見ると、僕は現場名の次が「自」となっている。普段は現場名の次は乗る車のナンバープレートの末尾二桁の番号だ。番頭に聞いてみた。「これは自転車です。加藤さん今日現場近くだから自転車で。ああ、自転車少ないから歩いて行って下さい。今地図だします。どっかで適当に時間潰してていいですよ。」適当に時間潰せって、繁華街じゃないんだから、朝の六時から開いてる店なんてないだろうが。大体新型感染症の状況下、ファミレスだって開いてねえよ。確かに現場は歩いても十分もかからなかったさ。しかしこれでどうしろと?仕方ないのでまだ寒い中、公園のベンチで本を読んだ。ネットカフェに泊まり込んだのにこんな目に会うとは。
    作業は根切り、建物の基礎の掘削だった。五人の内二人はユンボについて掘削、残り三人は出た土の埋め戻し。ところが戻す先は既に基礎のコンクリが打たれた脇でとても狭い。鉄筋出てるし上にも色々組んであって、これ埋め戻すの大変じゃないの?監督が何も考えてないのは明らかだ。
    掘った土をダンプが持って来て道路の上に敷いたブルーシートにコンパネ乗っけた上に空けていく。三人で半分も埋め戻したらまたダンプが来る。賽の河原か!
    十時過ぎに応援が二人やって来た。他の現場で空振りして回って来たらしい。応援の職人は埋め戻しを見るなり「シュート必要だろ。」と言い、事務所に取りに行った。シュートは円筒を縦に半分に割った、まあ滑り台と思っていい。ただし滑るのは主に生コンである。シュートを使って土を流し込めと。ああ、それはいい手だ。
    結局五人で賽の河原を丸一日昼以外休みも取らずに処理し続けた。これ、明らかに土の量間違えてる。人数も間違ってる。最初の人数だったら何時になっても終わらないぞ。
    事務所に戻ると明日の割り振りが出ていた。今日と同じ現場になっている。なら明朝事務所に遅く行ってもよさそうなものだが、この会社に来た初日に職人から言われた。「前の日に見た場割りは当てにしない方がいいよ。番頭の気分次第でころころ変わるから。」
    もちろん今朝、六時過ぎに事務所に着くと、昨日と同じ現場になっていた。現場は小さくて詰所なんかない。さて、どこで時間を潰そうか?

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(495)土工復帰

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(495)土工復帰
加藤匡通
四月×日(木)
 仕事がなくなると更新回数が増えると言う相関関係があまりに露骨で笑ってしまうな。月に一回どころか更新しない月すらあったと言うのに。
 どうにか仕事を見つけた。土工である。ほぼ二十年前にやっていたことがある。都内の会社で、朝六時十五分に事務所集合、現場へは車での移動となる。これが六時集合だったら間に合わないところだが、どうにか間に合ったので通いだした。もっとも、自宅最寄りのみらい平駅の始発だとぎりぎりでトイレに寄る時間もないので、一つ手前の守谷からの始発、五時四分秋葉原行に乗っている。四時起き、半には家を出てるから朝食を食べる余裕はなくなる。
 当然車で守谷まで出ている。なので駐車場代も上がる。守谷は一番安いと四百円だが、少し駅からあるので駅前の五百円のところを使っている。みらい平は三百円だから二百円高い。あ、これは一日の金額だから。都内なら一時間金額でもおかしくない額だけどさ。
 事務所集合で現場まで車移動は珍しくはない。僕にはあまり馴染みがないだけだ。日雇派遣も土工も、これまで現場直行のところばかりだったのだ。建築関係では二か月だけやった土木の仕事くらいしか憶えはない。東京にいた頃は一度もない。日雇派遣では珍しいと思うが、今回は派遣ではない。日雇そのものだ。印紙を貼れると言うのでアブレ手当だってもらえることになる。まずは白手帳作らなきゃ。
 一日目はブロック基礎のコン打ちだった。整地して型枠組んでコン打ち、と全部だ。職長に「これはよくあるんですか?」と聞いたら苦笑しながら「ない。」と答えていたが、そりゃそうだろう。これは外構屋の仕事だ。Y社でよくやったよ。土を鋤いて均して踏み固めてコン打ち、である。これ、Y社だったら鋤いて転圧して砕石敷いて転圧して鉄筋組んで、でコン打ち、だ。凄い簡略化である。踏み固めるなんてただ足で踏んづけてるだけ。正直呆れた。まああっちの元請けは住宅メーカー最大手の一つだからな。小さなところはこんなもんかもしれない。
 隣家との狭い隙間にバケツでコン打ち、はほとんど十年振りにやった。いや、息が上がる上がる。均しまでやったけど、どこの馬の骨ともつかない奴に初日からやらせて大丈夫なのか?
 二日目はピットに潜ってノロを斫っていた。躯体をコン打ちした時にこぼれたりしたコンクリのかすをピックで斫るという、これまた日雇派遣でお馴染みの作業である。それなのに、ああそれなのにそれなのに、ピック、つまり電動のハンマドリルを握って斫って、昼になって手を見ると、ゴム付きの軍手をしていたのに指の皮が剥けていた。そんなに楽してたのか、俺!

 そして今日。一日スコップ握って穴掘りをした。一緒にやってる七十二歳に明らかに負けてる。正直かなりきつい。いろいろ泣けてくる。
 帰りの車の中で、明日は休み多いみたい、と聞いた。事務所に行くと「加藤さん明日休みね。」と言われた。土工は十人近く休みになってるみたいだ。・・・どこに行っても同じってことなのか?やっぱり泣けてきた。これ、エープリルフールってこと、ないですかね?(いやいや、それじゃ日付書いてない意味なくなっちゃうだろ。)

 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(494)卒業式から三十年目

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(494)卒業式から三十年目
加藤匡通
三月××日(木)
    大学を卒業して三十年経っていると気づいた。もう三十年も・・・言葉を失うよ。
 あの頃より今の方がよっぽど真面目に勉強しているとは思うものの、職が定まっているとは言い難い状況がまだ続いているとは、全く想定していなかった。もっとも、バブル真っ只中にも関わらず卒論提出日にようやく一件だけ内定が届くような状態なので、その後の低迷ぶりを期待させる賃労働市場への船出ではある。
 ついでに言えば学生運動はやってなかったので、まさか自分が逮捕歴のある過激派になろうとは夢想だにもしていない。就職先が共産党の文化運動を担っていると気づいて仰天するのはもうちょっと後のことだ。
   先日の面接で一緒だった二人の内の若い方は僕よりやや年下だったが、派遣会社に入れないと嘆いていた。面接で落とされ続けていたらしい。そんなに人では余っているのかと、耳を疑った。もう一人は僕より年上、新型感染症の影響で(緊急事態宣言の影響で、と言った方がいいだろうか)会社がしばらく休業していると言っていた。
 いずれにせよ仕事がなかなか見つからないので慣れない肉体労働をしようと応募してきた訳だ。自分の時のことを少し思い出した。僕は自覚的に底辺下層へ、人民の中へと入っていったのではない(これは何度協調してもいいだろう。)。会社勤めを辞め、退職金を使い潰し、明日の現金を得るために日雇派遣へ足を踏みいれた。ほんの腰掛のつもりでだ。それからでも、二十年をとっくに越えている。
 今月は十日も働かずに終わりそうだ。職安に行ったりとかいろいろしているが、どうなることやら。
 
 
 
 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(493)久し振りの面接

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(493)久し振りの面接
加藤匡通
三月××日(火)

 尻に火が付いたのでとりあえず働こうとパソコンを開くも目移りがしていけない。と言うか選べない、に近い。モニターでは中身が頭に入らないのは相変わらずだ。なので求人誌を久しぶりで手に取ってみた。

 好条件の建築現場での求人があったので問い合わせをすると、まだ募集していると答えたので面接を設定してもらう。面接なんて何年振りだろう。これまた何年振りかで履歴書を書いた。初めて一発で書けた。これまでは一枚以上の書き損じを出しながら、一時間以上かけて書いていたのにどうしたことだ?いいことの後にはいいことを帳消しにするよりもやや悪いこと、プラスとマイナスは合わせてややマイナスに傾く、と言うあれを思い出す。うーん、でももう十日以上仕事なくて、金もつきかけてるのにさらに悪いこと?

 新築現場の中の事務所が面接会場だと聞いた。会場に行くと先客がいる。何人か応募があったらしい。

 面接が始まり、説明を聞いてこれなら問題なくやれそうだと思い、いつから来れますかと聞かれたので明日から大丈夫ですと答えた。週払いでこの金額なら、とりあえずはやっていける。先客たちは建築現場は初めてらしい。

 と、安心したら面接官がこう言った。「そうだ。マイナンバーカードは皆さんお持ちですか?」忘れてたよ!それか!後日番号を本社に提出しろと言っている。この間現場でいろんな踏み絵を出されて来た。その度にほぼ膝を屈している。3・11の黙祷も現場では拒絶出来なかった。今度はマイナンバーか。面接官は話を進め、応募に来た三人に確認を始めた。僕が難しい顔をしているのでカードを持っていないのかと再発行手続きの説明をしている。「加藤さんどうですか?今すぐじゃなくて大丈夫ですよ。」「いや、マイナンバーを使いたくないんですよ。」多分僕を除いた三人は全員「この人は何を言っているんだろう? 」って顔をしているのだろう。しばらくのやり取りの後、僕は「申し訳ありませんが今回は」と頭を下げた。もしかすると今回の応募者で一番現場に慣れていそうだったのは僕だったのかもしれない。面接官がどうにかなりませんかと三回聞いてきた。うん、これはどうにもならないね。

 考えてみれば前の日雇派遣の時だって提出しろとは言われたのだ。その時は突っぱねられたものの、今後は難しかろう。ある程度大きい会社はどこも提出しろというだろうな。ウェブの求人にもそう言えば書いてあったよ。

 帰りに慌てて他の伝手をたどってみたが、どこも今は手が足りていると返ってきた。

 さあ、どうしよう!

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(492)朴念仁のまま春休み突入

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(492)朴念仁のまま春休み突入
加藤匡通
三月××日(金)
 バブルが弾けたのかもしれない。現場がなくなり、仕事がなくなった。年度末とは言っても通常ならまだまだ仕事はある。これが新型感染症の影響なのか、社長の手腕なのかはどうでもいいことだ。V社は中国人研修生を使っていて、彼らには月に二十二日の就労を保証しなければならないず、現場が薄くなれば僕のように配管の出来ない者は真っ先に切られる。これは前から社長に言われていたことだ。
 もう十日休んでいる。休みは嬉しいが、首は回らなくなると言う、お馴染みの展開だ。考え様によっては日雇派遣の時なら給料は安かったが仕事は途切れなかったので、低位安定していてましだった、と言えないことも・・・ないか、さすがに。あの頃十日も仕事がない状態になっていたら、とっくに次の仕事を探して、つなぎでもなんでもとにかく賃労働をしていただろう。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は初日に守谷のシネコンで見た。夜八時からの回でも客は五十人以上いた。翌日も四時起き、始発で出て二時間半の通勤に予告篇込みだと三時間近い上映時間は辛いが、充分楽しんだ。何回か劇場に通うだろう。終わりまで見届けることが出来て幸せだと思う。
 ついでに言うと、パンフを読んでてある人間関係を全く誤解していたと気づいて自分の鈍感さに笑ってしまった。この鈍感さは昔からで、当然現実世界に対しても遺憾なく発揮されている。去年も現実世界での同様の事例に気づいて、己が鈍感さに舌を巻いたばかりだ。カヲル君だったら「変わらないな、君は。」と微笑んでくれるだろうが、「朴念仁」と毒づかれるシェリルの方が親しみが湧く。まあ、もう恋愛なんてどうでもいいしな。(もっとも、朴念仁を恋愛関係に限定して使うのはおたくの世界でのことらしい。僕は『イデオン』で用法を憶えたのでそうとしか思えない。)
 休みともなれば映画を見るに決まっていて『ザ・ブルード 怒りのメタファ-』も『スキャナーズ』も九十三年の「クローネンバーグの世界」での上映以来、久し振りで見た。そのために休むつもりだったくらいなので、現場がないのをやったあ!っと喜んでいたのだ。特に見たかったのは『ザ・ブルード 怒りのメタファ-』で、デジタル上映でやっぱり黒が潰れていて、2Kレストアよりちゃんとプリント焼いてフィルムで上映した方がいいんじゃないかと相変わらず思ってしまうけど、最早フィルム上映が贅沢になってしまっている。今となっては子どもに殺人を演じさせ、さらにそれを子どもが見てるなんて場面、そもそも撮影出来ないんじゃないのか?救いのない素晴らしい映画だった。
 映画を見るために仕事を休むのは、僕にとっては当たり前のことなんだけど、多くの人にとってはそうではないらしい。何年か前に、他社の日雇派遣と仕事をしていて、お互い映画が好きだとわかって作業中に映画の話を延々していたことがあった。その時、『リンダリンダリンダ』が地元でかかっていて、それを見るために休んだと言ったら「クレイジーですね。」と言われて意外だったことがある。僕は誉め言葉と受け取ったが、相手は「そこまで出来ない。」と言外に言ってて、それが意外だったのだ。いやいや、仕事と映画なら映画取るでしょ!何も映画に限定せずとも、仕事と自分が好きなこと、大事なことならそっち選ぶでしょ!・・・選べないことが多いのはわかってる。現に選べないことも多い。それでも大事なのはどっちだと聞かれたら、答えは決まってる。何度もここで書いてるけど、僕は仕事をするために生きてるんじゃない。

 とは言え、このままじゃまずいな。さてどうしようか。

 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(491)帰りは終電?

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(491)帰りは終電?
加藤匡通
三月×日(土)
   昨日、現場で職長から「明日一時から終電までだって」と言われ、社長に確認の電話をすると「明日その現場他の人が行くことになったから、加藤さん明日休み。」と言われたのが十時だった。じゃあ、と嬉々として予定を立てていると昼にまた職長が「加藤さん明日一時からね。朝は別の現場に行って、それから移動して。」。ひっくり返っただけじゃなく、余計な話まで乗っかってる。朝から働いて残業しろと言うことらしい。勘弁してくれよ。だいたい一昨日までは「土曜は仕事ないから。」って言ってたのだ。社長は人を弄んでんのか?帰りに職長より早く現場を出たら職長から電話があって「明日一時からでいいって。」。やっぱり弄ばれてる。てか、何故直接電話かけて来ない?
   一時からの現場は都心の、延々改修工事をしている、前に搬入で来たところだった。この辺りは日雇派遣で散々来ている。まだ東京に住んでいた頃は数か月通っていた時期もあった。仕事でしか来ない地域だ。

 地下の元請けの事務所にあいさつに行くと知った監督がいた。「今日は何するんですか?」「聞いてないの?」「社長教えてくんなくって。」「荷揚げだよ。」ああ、やっぱり。配管屋は別にいて、V社からの僕たち三人は荷揚げだけ。職人なら怒り出すだろう。「何時まで何ですか?」「三時ころ材料が入ってきて、七時から配管屋が来て作業で、配管ばらして下ろしたら終わりだから、十時十一時?」今日の面子は遠方の者ばかり、距離はともかく時間で言えば僕が一番遅くまで作業出来ることになる。いやいやそれは嬉しくないぞ。

 現場自体は隣のビルで、まず今いるビルの地下にある資材置き場から道具や資材を隣のビルの屋上に持っていく。作業場所は屋上だ。屋上にある衛生配管の交換が作業である。エレベーターは当然使えるので大した作業ではない。で、休憩に入る。元いたビルの地下に戻る。三時過ぎに材料が来ると呼ばれ、地下の駐車場で待機。運送屋が待ち合わせ場所を間違えて一時間そのまま待機するも、材料自体は大した量ではないので、作業はすぐに終わる。また待機。ビル内のコンビニで夕食を買い、食べる。

 そして七時前からが本番となる。材料は一人では持てない物もあり、屋上の移動はちょっと大変だったりするものの、それでも先日の階段での陶器の便器搬入に比べれば物の数ではない。後は配管屋の作業があまり遅れずに進行するのを願うのみ。だから現場でやっぱり待機。ぽつんぽつんと弁だの配管だのがぶつ切りになって出てくるので、それを作業場所から同じ屋上内の集積場所に移す。昼間は暖かかったが夜は冷えるし、屋上はそれなりに風がある。鉄管だのを運んでいる時はいいものの、待機となると少し寒い。

 待機中に見る屋上からの夜景は本当にきれいだ。さすが東京。「いつか、怪獣のいない東京を案内するよ。」って台詞を思い出すよ。あの台詞は昼だけどさ。けど、それでもこんなに明かり要らないだろ?

 九時半に残材の搬出が終了した。配管屋はまだ作業が残っているものの、僕たちの作業は終わりだ。三人とも終電には余裕で間に合う。現場にいた時間の半分どころか三分の二が待機だったんじゃないかと思う。朝も遅いし、こういう仕事はとても嬉しいが、あまり続くと通常作業がどんどん嫌になっていくのが難点だな。待機中につまんない学習会のテキストを読み終え、次の本に移った。

 さて、問題は月曜だ。現場終わってから『シン・エヴァ』見て翌日また四時起きはきついんだけど、初日に行かないってのは考えられない。ああ、月曜仕事なければ一回目で見れたのに。