茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇い派遣日記(78)月払いへ移行

二月×日(火)

               加藤匡通

 おとといの日曜は僕だけ休みで全員仕事、予定では昨日は僕だけ仕事で他は休みだったが日曜で担当者と連絡がつかないとのことで仕事は流れた。で、今日は今日で新しい現場に入る予定が現場の都合で流れて休みになった。予定になかった三連休である。
 今日の休みは早めに分かっていたので日雇派遣を入れようと思っていたが、片付けなきゃいけない用事もあるし、何より働くのが嫌になっていた。休みが長引けば長引くほど元から低い勤労意欲はますます下がっていくからここで休むのは悪循環を促進するだけ、それに日銭が入って来ないと今月は厳しい。それはそうなんだけど。こんなことを書けばいろんな方面から叱られるんだろうが出来ることなら働きたくないというのは正直なところである(だから日雇派遣は駄目だ、とか真面目に働くことを考えろとか言われるのは目に見えてる。職長とか社長は当然怒るよなあ。)。この部分を展開するとホントに勤労意欲がなくなりそうなので今回は展開しない。
 移動する給料日は現在はるか先の月末にある。週払いから月払いに移行した。一月分から月払いで末〆翌月二十五日払い。親からを別にすれば月払いで給料をもらっていたのは十年以上前のことだ。世の中的には喜ばしいことのはずだが、日雇いが長かったから、移行期間中どうしようという悩みの種でしかない。なので現場がないと分かっていたのなら日雇派遣に出た方がいいのだ、健康診断も指定の医者で受けたことだし。
 今の日当は一万二千円。交通費がほぼ毎日二千円くらいだから(厳密に計算すれば平均千七百とか千八百だろう)どうにか実質一万円になったわけだな。移行期間中は交通費ひとつとっても立ち行かないのは目に見えているので親に借金し、さらに給料の前借りもしないと保たないやな。単純計算で交通費は週一万を越え、それが一月ニ月で八週、つまり八倍。十二月から分かっていたので多少備えはしたものの、僕にはどうにもならなかった。移行期間中の家賃光熱費は母の年金から出してもらうことにしてそれはそのまま僕の借金となる。夏の分がまだ少し残っているというのに、いつになったら返せるものやら。それでも僕はこうして親に頼れるだけましなのだ。一度日払いで生活サイクルを作ってしまった者が賃金の高い月払いの仕事に就こうにも、最初の給料が出るまでの期間持ちこたえることが出来なければその人は日払いの仕事を続けるしかない。これ、自己責任論で「なぜ出来ない、なぜやらない」と責めても本人を追い詰めるだけで事態は悪化するだけなんだけど、やれば出来ると言う人は相変わらず多い。フェアトレードの運動やってる人から言われたこともある。関心領域が違うと問題への理解も違うのだ、と教えられた。僕自身もいろんな局面でそう思われているのだろう。
 日当一万二千円は僕のなかでは最高額で、以前には日雇派遣ではつり屋やってた時と土工やってた時と同額だ。もっとも土工時代はアルコール依存症真っ盛りだったこともあって、せっかく作れた白手帳もアブレ手当をもらえる最低日数の二カ月で二十六日働くことが出来ず、月で考えると日雇派遣より少ない額にしかならなかった。月十三日出れないってどんな状態だよ、と言われそうだが必ずしも僕のアルコールだけではなくて、会社の側でも新入りに最初のうちはあまり仕事を回さないようにしていたんじゃないかと思う。と自分を正当化する。
 白手帳は正式には「日雇い雇用保険手帳」という。日雇労働者のための失業保険と思っていい。働いた日は会社側が印紙を貼り、これが二カ月で二十六日あれば翌月仕事に入れなかった日の朝日雇職安に行けば失業手当がもらえるという制度である。厚生労働省はこの制度をどうも廃止したいようで日雇派遣にはほぼ適用されることはない。使い捨てるための要員を保護するつもりなどないのだろう。はっきりそう言えば「潔い」って誉めてやるんだがなあ。
 何はともあれ、無事に月払いに移行出来て生活が安定してくれるといいなあ。