茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

        2.11に考える 外国人被災者からみた3.11

組合員加藤からの投稿です。


東北の現地で外国人支援の活動を続ける唯一の団体の方にお話をうかがいます。

    私たちの眼には映ってこない、この国と社会の姿を見るために。

     お話:許 伯基(ほ べっき)さん(外国人被災者支援プロジェクト運営委員
                 在日大韓基督教会つくば東京教会牧師)

     日時:2014/2/11(火・休) 13:30〜16:30

     参加費:500円

     場所:在日大韓基督教会つくば東京教会(茨城県つくば市栗原3533−49 駐車場あり)

     主催:戦時下の現在を考える講座
         (メール under_the_war_regime@yahoo.co.jp
          電話 090-8441-1457加藤/080-5459-9576鈴木)

     ★会場は主催側がお借りしたものであり、本企画には関わっていません。
       お問合せは上記までお願いします。

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 今から2674年前、天照大神の子孫神武が、初代天皇として2月11日に即位した。万世一系の神国・日本の誕生である。この日付は、1873年(明治6)から(1949-66年の中断をはさんで)今年2014年の現在まで、「紀元節建国記念の日」として、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ための国の祝祭日とされている。          
 しかしそのありようは他国の独立記念日革命記念日と大きく異なる。アメリカ合衆国7月4日、フランス共和国7月14日、ドイツ連邦共和国1990年10月3日、大韓民国1945年8月15日。こう並べると、日付の意味のちがいが浮き上がってはこないか?                     
 神話に記された暦と登場人物を根拠に、史料で確認できる「日本国」の成立時期よりも2倍程さばを読んだ太古のXデーを西暦に換算・同定してみせた荒技は、生まれたての明治政府が近代国家たろうと焦慮したあげくに放った渾身のギャグででもあったのか。そう笑ってすませたくても、この地の為政者らと街頭の愛国者らが吐きだす、神話を真に受けたかのような言動には、虚構を虚構と心得る余裕とユーモアの気配などかけらもありはしない。     
 昨年2月11日、「日本の建国を祝う会」の集会では安倍晋三の祝辞が代読され、出席した下村文科相は「できるだけ早く政府主催で」式典を行えるよう努力すると誓った。国家と国民たちが一体となり、疵ひとつない幻想の繭にくるまれて、他者の眼をはばかることなく自画自賛の不滅の栄光に酔い痴れたいという夢。                 
 2.11。この日付には歴史そのものが欠け落ちている。「日本」がいまなお統治する列島とかつて統治しようとした場所のいたるところで流させた血の痕が消えている。ふるった/ふるわれた暴力の傷口が、強いられた分断の残酷さが、人々の怒りと悲しみの記憶が、悔恨が、決意と新たな意志が、どこにもない。歴史に走りつづける亀裂、社会に切りこまれたままの裂け目が、覆い隠されていて見えない。                     
 3.11。この日、日本社会に潜在する別の「活断層」がむき出しになったのだ、と許さんは言う。「気心の知れた日本人の頼もしい助け合いの輪」から締め出され、「崩壊したシステムの中でも粛々と秩序を守り続ける人々」の美談を鳥肌の立つ思いで見守っていた、「国民」でない人たちがいる。彼/女らはなぜ、どこからこの地にやって来、ここで生きていくことに決めたのか?頼る親族も友人もいない過酷な環境で、異なる者をはねつける高く険しい同質性の壁にどのようにぶつかっているのか?                    
  閉じこもろうとあがく国家と社会の内側にも「外」はうがたれている。私たち(とはしかし誰のことか?)の目の前にむき出たままの、土地・歴史・国家・社会に生じた幾重もの断層を隠してしまわないよう、許伯基さんが伝えてくれる外国人(とはどういう意味か?)被災者の痛みを感じられたらと思う。二つの日付を往復しながら、それをつないで見えてくるものについて話し合ってみたい。