茨城不安定労働組合

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ベトナム反戦直接行動委員会50周年シンポジウム

組合員加藤からの投稿です。

ベトナム反戦直接行動委員会50周年シンポジウム

■日時 11月26日(土)14:00〜18:00(13:30開場)
■会場 東京古書会館7階(千代田区神田小川町3-22)
■パネリスト 太田昌国 田中ひかる 栗原康 ほか
■会場整理費 1,000円
■主催 ベ反委50周年シンポジウム実行委員会
■問い合わせ anarchism.ed@gmail.com
 ベトナム反戦直接行動委員会(べ反委)の行動とは、1966年10月19日に東京田無の日特金属工業、同11月15日に名古屋市外の豊和工業に対して、兵器生産停止を求めて直接抗議をしたものである。この件で、当時26歳を最年長とした未成年
を含む10人の若者が逮捕・起訴されている。日特金は機関銃を、豊和工業迫撃砲戦車砲などを自衛隊に納品しているメーカーであった。
 前年の65年は米軍がベトナムの北爆を開始し、同年、日本では「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)が結成されている。ベトナム反戦の闘いは日本国内でも大きく拡がり、盛り上がりを見せていたが、それは集会とデモ行進、国会への抗議行動という形で進められていた。ベ平連を始め、各大学自治会や労働組合など、新旧左翼諸党派の影響下にある組織、また当時は、まだ多数ではなかったが無党派の人々が参加するベトナム反戦の闘いのほとんどが、政府や既成政党に対する抗議で、代議制民主主義を前提とするものだった。
 べ反委のステッカーには、「国会に行くな 工場と死の商人へデモれ!」と明記されていて、彼らはその通りに行動した。日本の運動史上、稀有の直接行動の実践だった。それが、「現代日本の逆鱗にふれるもの」(高橋和巳)だったからこそ、彼らへの弾圧は大きかった。国家権力からだけでなく、反体制を自称する新旧左翼からの非難も強かった。実行後、間もなく表明された高橋和巳埴谷雄高などのごく少数の肯定的評価もほんの数年で顧みられることもなくなり、問題にされることも、ほとんど無くなってしまった。
 それに対し、党=軍建設から革命へという路線は、国家の枠組みに似ているから問題にしやすいのだろう。アラブ赤軍、「よど号赤軍連合赤軍などが今でも時折、検証されるのは、彼らが国家の解体まで視野を拡げていなかったからではないのか。べ反委は、国家が、権力が隠蔽しようとしているものに対し、直接、撃ったからこそ、国家だけでなく、権力としてのメディアも忘却の方へ追い払おうとしてきたのだ。
 だからこそ、彼らの先駆的・始原的な直接行動は今でも十分に権力を撃ち続けているといえるはずだ。
 べ反委の行動から50年、本格的な検討の契機となるように、私たち実行委員会は、この会を設定した。べ反委メンバーで連絡がつく人が二人になってしまっている。今後、こういう機会は、何回もないだろう。
 関心のある人のご参集を、ぜひ、お待ちするものである。