茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(常雇?)(440)絶賛有給休暇消化中

賃金奴隷な日々  日雇派遣日記(常雇?)(440)絶賛有給休暇消化中
加藤匡通
六月××日(土)
    転職することにした。同業他社なのですることはあまり変わらないはずだ。ただし、日雇派遣とは全く言えなくなる。まあ、これまでも名乗れない期間は長かったんだがな。また一人親方に戻るのだ。
    今の派遣会社とは、とうとう縁が切れる。会社が社会保険に加入した段階で日雇から常雇化が図られたが、それは会社に登録していつでも好きな時に働ける状態ではなくなることでもあった。社会保険を払う関係で月最低十七日の出勤が求められのはともかく(それが嫌なら日雇のままで社会保険は掛けられない。但し出勤日数は月に八日までとなる。)、いったん会社を離れて他の仕事に就くと常雇は解除されることになる。いや、一般企業なら当たり前だろうが、日雇派遣だと登録抹消を自分から言い出さない限り、何度でも戻ることが出来た。だから僕は転職しようとしては失敗しても同じ派遣会社で働き続けられた訳だが、それも今回で最後だ。足掛け十五年を越える、いや長かった。事実上、と言うか本人の意識の中でも派遣会社を辞めることになる。
    辞めるに当たって、前から取りたかった有給休暇を要求してみた。何年か前に事務所で手配の者に面と向かって言ったら、次々に上役が出て来て数日後に社長から「加藤さん、法律で決まってるからどうしてもって言うんなら出しますけど、お仕事紹介出来なくなりますよ?」と応えられた。社長ったって僕より十近く年下だが、年収は一千万を越えている。お前そんなこと社長が真正面から言って、出るとこ出たらお前の負けになるの分かってんのか!録音しときゃよかったぜ。だが日々の僅かな現金収入をふいにして正面から戦える筈もなく、検討しているとの言葉に引き下がったのだ。
    もちろん検討なんかしている筈もなく今に至るも僕がいた派遣会社で有給休暇は制度化されていない。今月の安全大会で話が出るとも聞いたが、結局そのままになっている。制度化されなくとも取れるのが筋だが、一人で交渉すれば鼻先であしらわれておしまいなのは書いた通りだ。なら辞める時にまた蒸し返してやろう、と思っていた。が、今度は話をして数日の後に設備部部長から電話があり、あっさり通った。「まだ制度を作っててないから誰にも言わないで下さいね。」と念を押されたので、期待に応えて何人かに伝えたさ。
  もっとも、取れたのは五日だけだ。労働基準法では最低でも十日のはずだが、働き方改革関連法は最低五日を義務化としたので有給休暇の最低日数は五日に切り下げられた。これはその成果である。首相御自ら春闘で賃上げを主導しておきながら、どうしてこういう中途半端なことをするかね?・・・尻馬に乗っといて言えることじゃないか。十日欲しけりゃちゃんと戦え、と。
  ついでに言えば社派遣会の正社員たちには制度としての有給休暇は定められているものの、全く取得できる環境ではないそうだ。残業代も出ないと聞いている。現場で若い社員を見つけては、君たちが有給取らないとこっちには有給なんかいつになっても回って来ない、と発破をかけてたものの、多分まだ誰も有給休暇を使っていないのだろう。使えない有給なんて絵に描いた餅だ。絵に描いた餅はそれでも見て楽しむことができるが、使えない有給は全く役に立たない。
  最初に勤めた、と言うか唯一正社員として働いた映画会社は福利厚生はちゃんとしていたが、土日の映画会が中心的な仕事だったのでその分の代休を消化するのに手一杯でとても有給を取るところまで行かなかった。それどころか代休を四十日以上残して退職している。もったいないことである。なので、実は人生初の有給休暇なのだ。
    と言うことで只今有給休暇中である。前からやらなきゃと思っていた調べ物をしに、毎日水戸の県立図書館に通っている。新聞のマイクロフィルムとにらめっこだ。朝九時の開館から夜八時の閉館まで図書館にいたなんて、一番図書館に通っていた小学生の頃だってしたことない。いやあ、楽しいなあ!これがリア充か!