茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(456)続・夜勤明けの使い方

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(456)続・夜勤明けの使い方
加藤匡通
二月××日(木)
    これまで行きたくとも行けなかった県内遠方に夜勤明けならそんなに苦労せずに足を延ばせると気付き、鹿嶋で試してどうにかなったので、今度は真岡に行ってみた。下館の上の栃木県真岡市、足を踏み入れたことは仕事も含めて一度もない。
    父の下で、父の死後は経営者の真似をしていた仕事は廃水処理と言うか要はトイレの汚水処理だった。家の庭に人が一人立ったまま入れる穴を掘り、そこに木材チップを詰め、トイレの汚水を流し込むと汚水は木材チップに住み着いた細菌によって二酸化炭素と水に分解され、大地と空気に消えていく。茨城や千葉の知事の認可は取っていたのでこういう大雑把なやり方でも通ったのだが、今でもこのやり方で通るかは疑問だ。敷地が広い茨城だから出来るやり方でもあるだろう。バブル期にこの木材チップでの汚水処理は展開され、茨城県を南北にわけると南に数多く設置された。東は鹿嶋、鉾田の別荘地から西は坂東どころか千葉の野田まで、個人宅を中心に点在していたので、県内を車でうろうろしていたのだ。
 作業は埋めてある木材チップを掘り返して極端に汚れている分を取り除き、足りない分を補充するだけの簡単なものだった。汚水はそのままの状態で流し込むものもあれば、水に入れてさらに空気で攪拌してから流し込むものがあり、当然そのままだと匂うし見た目もそのままだったりするのでスコップで放り上げる際には気を使った。それでも、水分を吸って重くなっているとはいえ通常の建築現場の穴掘りと比べればラクものだ。それはその後やった外構屋での穴掘りで実証した。二メートルを越す穴の下から木材チップをスコップで放り上げるのは多少骨だが、それでもである。その頃はまだ四十前だったと言うのはあるかも知れないが、一緒に穴を掘っていた父は当時七十になっている。いや、これは父が元気過ぎたのだろう。
 下水道の普及によってこの汚水処理は数を減らしていき、父は次の手を探っていたが資金のない零細企業が上手く出来るはずもなかった。で、父が死んで僕が跡を継ぎ、会社を閉めたのだ。各家庭にまだある木材チップによる汚水処理の設備は他の会社に引き継がれた。だから、まだ誰かが県内を走り回って汚水まみれのチップを放り上げている。
    さて、真岡である。守谷までつくばエクスプレスで戻り、関東鉄道常総線に乗り換え、下館に向かう。常総線は周囲の民家と車両までの距離が近く、さらに車内に運賃箱があって、かつての世田谷線を思い出させる。県内を移動するのはたいてい車なので、水海道から先を常総線で行ったことはない。なんかやたとら直線が多い路線だ。
    終点の下館に九時前に着いた。下館はJR水戸線関東鉄道常総線真岡鐵道三線が乗り入れている、ちょっとしたターミナル駅のはずだが、駅前はがらがらだった。通勤通学客がいそうなものだがほとんど見ない。JR駅改札前真正面では、とうに営業していない新潮書店の看板だけが出迎えてくれる。真岡鐵道を待つ間にコーヒーでも、と思ったが、そんな店は見当たらない。そんな店は幹線道路沿いにしかないのだろう。
 下館駅に乗り入れている路線はどれも単線、それどころか関東鉄道真岡鐵道ディーゼルである。たまらない人にはたまらないのだろうが僕は鉄道マニアではないので、へぇー、珍しいね、で済んでしまう。真岡鐵道も車内に運賃箱があってやっぱり昔の世田谷線を思い出す。こちらも車両と民家の距離が近い。
    真岡の駅前でまた自転車を借り、本屋を探しに出掛けたが、残っていた本屋は一軒だけだった。そこも棚の本は背表紙を並べて見せるのではなく、表紙が表を向いて並んでいる。地図に表示されている店は看板に痕跡があるだけ、もう一軒はやっと見つけたと思ったら郊外型のエロ本屋でしかも閉まっていた。開いていたとしてもエロ本屋に寄る元気はない。市役所では『真岡市年表』を買った。
    一方図書館の地域資料の充実ぶりには目を見張った。地方紙誌も揃い、大学、研究所の紀要も集め、しかもまだ住民からの寄贈を呼び掛けている。前橋の図書館も同じだったなあ。茨城の図書館でこんなに熱心な姿勢を見たことはないよ。
 下館に戻る途中の久下田で下りた。本屋があるのだ。営業しているのは電話で確認した。しかし入ってがっかり、僕が買える本は全くない。今売れる雑誌と漫画ばかり。そうしなければやっていけないのだから仕方ない。次の列車まで一時間待つ。
    帰りにもう一度下館で本屋を探してみた。やっぱり前に来た諏訪書店しかない。一駅手前に一軒あるはずだが、一時間一本を待つ気力も本屋まで歩く体力もなくなっていたので諦める。
 気がついたら列車の時間と本ばかりを気にしていて、昼を食べてなかった。最近はどこへ行ってもこんなだ。
    せっかく夜勤明けの使い方がわかってきたのに、この現場の夜勤はもう終わる。まともな生活時間に戻るのは嬉しいが、もう少し遠出をしたかった気はする。