茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(458)就労表

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(458)就労表
加藤匡通
四月××日(火)

 全国に緊急事態宣言が出されようが仕事はある。何度も繰り返しているのでこれを読んでいる人は公安だろうがネトウヨだろうがよく知っていると思うが、僕は働くのが好きではない。賃労働をせずにいられればどれほどいいことかと思っている。だからこの事態に仕事がなくなれば大喜びだ。けど、それは働かずともやっていけるだけの充分な貯金なり資産があればの話。公共料金をようやく払えるようになっただけの自転車操業、仕事がなければ感染症に罹らずとも死んでしまう。なので仕事があること自体には一安心している。

 今通っている現場には就労表と言うのがある。各職種毎に人数を書くようになっているボードだ。ゼネコン現場にはない。ゼネコン現場では職種毎にまとめたらそれぞれの人数が多過ぎてまるで管理出来なくなるので、業者毎になる。就労表があるのは小さな、街場の現場だ。各職種と書いたが実際には各職工と書くべきで、ボードには土工、斫り工、鉄筋工、左官工、電工等と二十三種書かれている。ここに書かれているのが建築現場の基本的な職種だ。養生工、クリーニング工の表記はないので、実は養生クリーニングは新しい、言い方を変えればそれほど重視されていない職種だというのもわかるが、まあそれはいいや。

 この中に現場採用と言うのがあって、これは現場近くの寄せ場で手配された日雇労働者の枠だ。かつては寄せ場が駅前や公園などいたるところにあって、人手が足りなければ当日の朝に手配出来たのだ。今では寄せ場はほぼ消滅、当日の朝手配など出来ない。その機能は派遣会社にとって代わられている。就労表がある現場も減っているだろう。現に、僕が就労表を見るのはやっと二回目だ。

 僕は七十年代から九十年代にかけて三軒茶屋に住んでいたが、駒沢公園寄せ場だったと父から聞いている。父は三軒茶屋の造園会社の監督だったので、駒沢公園から来た日雇労働者を使っていたと言っていた。三茶に職安があった頃はあぶれたら職安でアブレ手当をもらえばよかった訳で、寄せ場が近くにあるのは当たり前と言える。父が就労表を使っていたかは聞いてない。まあ、父もまさか大学まで出してやった息子が日雇労働者になるとは思っていなかったと思うが、わっはっは。

 就労表の職種で言うと今の僕は配管工になる。今日の仕事はスリーブ入れの手元、足りないスリーブを加工したり付属の部材を運んだり、高さや位置の確認と言われて図面を見て目を白黒させたり。これでどこが配管工なんだか。派遣の雑工とまるで変わらないのに。笑っちまうよ。