茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(490)「その夜、ライコンは老いを感じていた。」

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(490)「その夜、ライコンは老いを感じていた。」
加藤匡通
三月×日(木)
    また荷揚げをした。
    以前なら全く問題ない分量の荷揚げである。給湯器、大便器、タンク、ウォシュレットとそれらの付属品を十四部屋分、これを四人で三階まで階段で上げる。大した量ではない。一番重いのは大便器だが、これも一人で持てる重さだ。四人で朝イチから初めて十時には終わっている。日雇派遣の頃にはこの程度の作業はいくらでもあったし、問題なくこなしていた。
 しかし前に書いた左膝は、あの時のように強烈ではないが、今も痛む。痛みを感じなくても違和感はあり、元のようには歩けない。走るなんてとんでもない!って感じだ。いやそれ以前に階段を上るのはもう何年も前から辛くなっている。エレベーターは使えないから二十階まで階段で、なんて現場に入ったらもう目当ての階まで登ったらしばらく動けないんじゃないかと思う。
 それに、一年前に一メートルの高さから落ちて右の肩を思いきり打って以来、右腕の力は落ちている。医者は骨にも筋肉にも異常はないと言うが、一時は右腕に全く力が入らなかった。今でも力は弱いままで、荷物を持ったり担いだりするのはもっぱら左で行っている。右手には左手の半分ほどの力しかないんじゃないかな?先日、四メートルの塩ビ管を足場から手渡しで受け取る作業をした時は、右手で塩ビ管を受け取り続けると見る見る握力が落ちていくのに愕然とした。マッチョは嫌だと言いながらも、重い物を他の日雇派遣の仲間よりは楽に持てることが自慢のお馬鹿さんだったので、こういうのは実はかなり痛い。
 怪我が増えて思うように体が動かなくなるのも歳をとった証拠なのだろう。今日の荷揚げは、何度も一息入れなければ出来なかった。エレベーターは目の前にあるのにいつになったら使えるんだろう、と思うものの、この程度でこんなに息が上がるとは。
 配管工(の手元)になってから楽をしているのは間違いないが、それを上回る速度で体力が落ちている。老化なんだろうなあ。いつまで現場仕事が続けられるのか不安になってくるよ。体を動かす以外に賃労働が出来るとは、もう思えないのに。父は七十を過ぎても、三十代終わりの僕と同等に穴を掘ると言う、子どもからすれば迷惑な体力の持ち主だったが、僕にはそんな真似は出来そうにない。
 夜、同志から電話があった。何かと思えば、久しぶりに肉体労働をして楽しかったと。僕はそういう楽しさからどんどん遠ざかっている真っ最中なのだ。つーか、なんで今日そんな電話かけてくるよ?