茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(492)朴念仁のまま春休み突入

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(492)朴念仁のまま春休み突入
加藤匡通
三月××日(金)
 バブルが弾けたのかもしれない。現場がなくなり、仕事がなくなった。年度末とは言っても通常ならまだまだ仕事はある。これが新型感染症の影響なのか、社長の手腕なのかはどうでもいいことだ。V社は中国人研修生を使っていて、彼らには月に二十二日の就労を保証しなければならないず、現場が薄くなれば僕のように配管の出来ない者は真っ先に切られる。これは前から社長に言われていたことだ。
 もう十日休んでいる。休みは嬉しいが、首は回らなくなると言う、お馴染みの展開だ。考え様によっては日雇派遣の時なら給料は安かったが仕事は途切れなかったので、低位安定していてましだった、と言えないことも・・・ないか、さすがに。あの頃十日も仕事がない状態になっていたら、とっくに次の仕事を探して、つなぎでもなんでもとにかく賃労働をしていただろう。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は初日に守谷のシネコンで見た。夜八時からの回でも客は五十人以上いた。翌日も四時起き、始発で出て二時間半の通勤に予告篇込みだと三時間近い上映時間は辛いが、充分楽しんだ。何回か劇場に通うだろう。終わりまで見届けることが出来て幸せだと思う。
 ついでに言うと、パンフを読んでてある人間関係を全く誤解していたと気づいて自分の鈍感さに笑ってしまった。この鈍感さは昔からで、当然現実世界に対しても遺憾なく発揮されている。去年も現実世界での同様の事例に気づいて、己が鈍感さに舌を巻いたばかりだ。カヲル君だったら「変わらないな、君は。」と微笑んでくれるだろうが、「朴念仁」と毒づかれるシェリルの方が親しみが湧く。まあ、もう恋愛なんてどうでもいいしな。(もっとも、朴念仁を恋愛関係に限定して使うのはおたくの世界でのことらしい。僕は『イデオン』で用法を憶えたのでそうとしか思えない。)
 休みともなれば映画を見るに決まっていて『ザ・ブルード 怒りのメタファ-』も『スキャナーズ』も九十三年の「クローネンバーグの世界」での上映以来、久し振りで見た。そのために休むつもりだったくらいなので、現場がないのをやったあ!っと喜んでいたのだ。特に見たかったのは『ザ・ブルード 怒りのメタファ-』で、デジタル上映でやっぱり黒が潰れていて、2Kレストアよりちゃんとプリント焼いてフィルムで上映した方がいいんじゃないかと相変わらず思ってしまうけど、最早フィルム上映が贅沢になってしまっている。今となっては子どもに殺人を演じさせ、さらにそれを子どもが見てるなんて場面、そもそも撮影出来ないんじゃないのか?救いのない素晴らしい映画だった。
 映画を見るために仕事を休むのは、僕にとっては当たり前のことなんだけど、多くの人にとってはそうではないらしい。何年か前に、他社の日雇派遣と仕事をしていて、お互い映画が好きだとわかって作業中に映画の話を延々していたことがあった。その時、『リンダリンダリンダ』が地元でかかっていて、それを見るために休んだと言ったら「クレイジーですね。」と言われて意外だったことがある。僕は誉め言葉と受け取ったが、相手は「そこまで出来ない。」と言外に言ってて、それが意外だったのだ。いやいや、仕事と映画なら映画取るでしょ!何も映画に限定せずとも、仕事と自分が好きなこと、大事なことならそっち選ぶでしょ!・・・選べないことが多いのはわかってる。現に選べないことも多い。それでも大事なのはどっちだと聞かれたら、答えは決まってる。何度もここで書いてるけど、僕は仕事をするために生きてるんじゃない。

 とは言え、このままじゃまずいな。さてどうしようか。