茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(510)『ミイラ再生』に労働歌を聞く

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(510)『ミイラ再生』に労働歌を聞く
加藤匡通
十月×日(土)
  おお、前回の題名間違ってるじゃないか!正しくは「発がんのおそれ」だ。いやいや自分でやってて笑っちゃうな。これ、人目を引こうとしたんじゃなくて誤変換だから! 校正がこんなにも出来ないとは。ああ恥ずかしい。
   さて、気を取り直してと。
 少し前に『ミイラ再生』と言う映画を見た。三十二年の北米・ユニバーサルの怪奇映画である。古代エジプトの神官インホテプの時間も生死も超越した恋を描いたミイラ物の古典、と言うかミイラ男的な存在はこの映画でつくられた。だからこの映画以前に怪物、妖怪としてのミイラ男は存在しない(と思う。民間伝承に似ているものはあるかもしれないが、この映画はそういったものを参照してはいない。)。
 同じユニバーサルでも『魔人ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』二部作ならともかく『ミイラ再生』が劇場でかかることなんかないと思っていた上に、映画として面白かったのでとても嬉しい。古代エジプトの儀式を再現(協力した考古学者は撮影に立ち会って初めてどんな映画か知り、憤然として帰ってしまったと言う。)、さらには当時のイギリスの帝国主義ぶりまで描いている。インホテプの恋人の転生した姿はスーダン州知事の娘!この映画の時代、エジプトもスーダンもイギリスの植民地で独立していないのだ! ちゃんと作ると意図していないことも描いてしまうのだなあ。
    他にもボリス・カーロフのインホテプが文字通りミイラから見事に再生していたとか、菊地秀行の『エイリアン黙示録』のリモコンマッサージの元ネタはこの映画だと今頃になって気づいたとかあるけど、驚いたのはエジプトの遺跡発掘現場の描写だった。
 重機はまだないだろうから全て手作業だ。発掘なので「見当つけて斬ってきな。」もとい見当つけて掘ってみるから大量に土が出る。ベルトコンベアーがあるはずもなく、土はざるを使ってバケツリレーで急な坂を運び上げている。その作業で、エジプト人の労働者は歌を歌っていた。労働歌だ。もちろんアラビア語の歌詞に字幕は付かなかったからこの場面にきちんと対応している歌なのかはわからない。だが、どう見ても労働歌だ。
    まさか『ミイラ再生』で労働歌に出くわすとは。この映画の存在を知った時は小学生だった。それから四十年、ミイラ男に胸をときめかせていた小学生は全く別のものにも胸ときめかすおっさんになっちまった訳だな。
 これなど明らかに日雇派遣の賜物である。学生時代は言うに及ばず、会社員時代だって、いかにユニオンショップだったとはいえ労働組合に入っていたのに労働歌に反応なんかしなかった。アナーキズムに関心を持っても、それが労働問題への関心につながった訳ではない。東アジア反日武装戦線への関心も同様だ。野宿者支援に関わってもなお、それは変わらない。結局労働問題に関心を持つようななったのは日雇派遣になって、自分は賃金奴隷なのだと思い知らされたからだ。そうしてようやく野宿者と日雇派遣の間に違いなんかないのだと気づく。遅いよ!
    しかしこの自覚は強烈で、それまで気がつかなかったことに次々に気づくようになる。ヘシオドス読んでて日雇いの記述を見つけた時には驚愕した。古代ギリシアでは、例えば葡萄摘みは日雇いだったのだ。これなど、会社員を続けていたら、つまり新中間階級のホワイトカラーを続けていたら気にも留めずに読み過ごしていたと思う。階級意識とはこういうことか。
    何度も書いているが、労働は嫌いだ。労働を貴いなどとは思っていない。出来れば働かずに済む方法はないものかとも思う。だが、働かずに運動を続けたり、本を読んだり映画を見たりするのは違うとも思う。
    ところで実際にエジプトで遺跡を発掘していた労働者たちは労働歌を歌いながら何を考えていたのだろうか?インホテプが、全く違う理由からであっても、植民者たちを殺したのは極めて正当だったと思えてならない。たとえ、かつてのエジプト人と今のエジプト人が直系ではないとしても。