茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(379)近江俊郎の伝説

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(379)近江俊郎の伝説
加藤匡通
七月××日(土)
  朝9時からという現場に入った。養生・クリーニング屋のI社が下請けに丸投げしている現場だ。僕のいる派遣会社から二人、他の会社から一人の計三人、既存事務所の休日を使っての改修工事である。天井をいじるので床にブルーシートのロールを敷いたり机にフィルムをかけたり、終わったらそれらを剥がして掃除機をかけるといった簡単な養生と清掃だ。朝の養生が一通り終わると天井作業が終わるまではすることがなくなり待機になるのもよくあることだ。
  今日は九時開始で六時終了予定である。きっちり一時間ずらすらしい。午後になって早上がりは期待出来ないかと判明、ややがっかりした。同じ派遣会社の同僚はゼネコン現場で職長をしていた人だが、大変せっかちな人として有名だった。せっかちは時に癇癪玉として破裂するのだが、今回は違った。天井作業は電気屋が蛍光灯の傘をはめ込み終了する。天井に穴が空いたままなら机のフィルムは取れない。作業階は一、二、三、七階の四階分だが今日は二、三、七階が終わればよくて明日も作業日になっている。今日の予定が早く終われば早く帰れるのは確かだが職人たちの作業が終わらなければ仕方ない。僕はそう思っていたが、同僚は違った。「傘入れちゃおうか。あんなの簡単だよ。」そして別の派遣会社の人間に立ち馬に昇らせると二人で取り付けを始めた。なんと大胆な。固定現場で他職と関係が出来ているならいざ知らず、彼はこの現場の監督も職人も初めてなのに。「(電気屋を)待ってていいんじゃないすか。」と聞く僕に「大丈夫だよ。」と返したものの、傘がうまくはまらす立ち馬の上で手こずっている。僕はきっと苦々しい顔をしているのだろう、同僚は手伝えとは言ってこない。そうこうするうちに電気屋が来た。「ああ、着けてるんだ。俺、他の階行っていいよね?」同僚が何か言う前に僕が「この階お願いします!」。
  電気屋の職人が穏和な人でよかったよ。相手によっちゃ殴り合いになっててもおかしくない。あんた、職長下ろされたって噂は本当だったんだなあ。
  近江俊郎と言う芸能人がいる。もう随分前に亡くなっている。僕はテレビの司会や審査員としてしか見たことはないが、歌手として有名だった人だ。僕が生まれる頃までは映画監督でもあった。この人が大変せっかちな映画監督として有名で、出演者がそろうと「カメラ廻して!」と言い出し「監督、照明セット終わってません。」「いいから廻して!」、さらには「カメラ廻して!」「監督、フィルム入ってません!」「いいから廻して!」と言うコントのような逸話を残している。現場でせっかちな人を見るとこんなところにも近江俊郎がいると思ってしまうのだ。
  数ヶ月前の電気屋の手元の時にも近江俊郎はいた。電気屋班長の一人だった。毎日定期便で一時前に来る電気屋の材料を仕分けして間配りするのが僕の主な仕事の一つで、トラックから下ろす段階で運ちゃんがだいたい分けてくれているのを、番頭(前に書いたあの番頭たちだ。)が伝票と照らし合わせてきちんと分けてから工事用のロングスパンエレベーターや階段で移動するのが混乱の少ない手順である。トラックはエレベーターのすぐ近くで荷下ろしをしていて、エレベーターは一時から人送専用として使われるから、荷下ろしを始めるとすぐに人が荷下ろしをしている真横に集まり出す。電気屋近江俊郎はそこにトラックがある状態を嫌がって、材料を仕分けせずにとにかく全部いっぺんに下ろそうとするのだ。いっぺんに下ろすと番頭たちは混乱、仕分けは全く進まなくなるのだが近江俊郎は自分の担当する地下の材料だけ分けてとっとと下りてしまいあとは知らん顔、混乱した番頭たちの世話をするのは僕である。番頭たちを放置しておくと最後にはぼくに残業やらという形でかかってくる。それでは堪らないので、途中から荷下ろしの主導権を僕が取るようになりどうにか収まったものの、最初の頃は大変だった。
  さて、同僚の働きとはあまり関係なく少し早く終わり、『ヒトラーにあてた285枚の葉書』を有楽町で見た。仕事が六時までかかっていたら間に合わなかったところだ。実は少し「早く終わってくんないか」とやきもきしていたが、会社に給料取りに行って映画館にどうにか間に合った。原作は今年初めに、存在を知ってから三十年以上経ってようやく読んだ。翻訳が出ていなかったのだ。原作は原題を『誰もが一人で死んでいく』と言う、老夫婦二人だけの抵抗運動を、状況丸ごと描いた小説である。抵抗と言ったって手書きのカードを人目に着くところに置いていくだけ、しかしそれだけで二人は死刑になった。小説家が、地味な話を盛り上げるために死刑という展開にしたのではなく、モデルになった事件で死刑になっているのだ。小説には大変感銘を受けたが映画はイマイチ、いやはっきり言えば期待外れだった。薄っぺらな感動物語になっていてがっかり。だいたい邦題からして間違ってる。あの葉書はヒトラーに宛てたものではない。彼らは市民に向けてヒトラーを支持するなと呼び掛けたのだ。耳障りのいい題にしたんだろうけど、権力者に呼び掛けるのと市民に呼び掛けるのは違うことだぜ?