茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(看板に偽りあり)(140) 土間屋再説、あるいは血債

加藤匡通
一月××日(水)
  この文章はもっぱら通勤中の電車で携帯に打ち込み、パソコン転送後に自宅やネットカフェでブログにあげている。今年に入ってから学習会で読む本が立て込んだり眠かったりで車中での打ち込みをしてなくて、気がついたら一月もそろそろ終わり、これはいかんと慌てている。ちなみに『フクシマ論』にはまだ戻ってもいない。
  年末最終日も年始初日も五時までびったりだった。スーパーゼネコンの大規模現場なら年末は午前中大掃除で午後は一杯ひっかけて早上がりという展開もあるだろうが、街の小さな戸建ての現場でそんなことするはずもない。
 先月末から入った今の現場ももう終わりになる。二度のコン打ちはポンプ車と土間屋、さらに警備員も呼んで計十名の大所帯になった。二回とも三十分早出で七時半開始。生コン車が八時とか八時半しか取れなかったらしい。以前なら下手すりゃ七時半に現場についていたことさえあったが都内南部は遠いので普段使っている電車より二本早い五時四十四分の電車に乗っている。今年に入ってから寒くなって、まあ朝の辛いこと。
  ほとんど一年前に「土間屋は左官屋から分かれた」と書いているが、その後土間屋自身から違う話を聞いた。土間ならしの技術は敗戦後に米軍基地建設によってもたらされたものだという。左官屋とは別系統、どころか日本国とも別系統ということらしい。そりゃ土間屋に沖縄出身者が多い訳だよ。とはいえこの国中に米軍基地はあるから基地のある地域ごとにそれぞれ土間屋が育っていてもおかしくないような気もするな。僕が知らないだけで各地に土間屋がいるのだろうか?沖縄出身者の場合は目立つので僕が気がつくだけなのだろうか。さらなる調査が必要だな。誰か詳しく知ってたら教えてください。こんなところでまで沖縄と米軍の関係をみることになるとは。「日本」はどれだけ沖縄に負債を負っているんだよ。
  今日来た土間屋はY社の職人なら三人掛かりで丸一日かかるだろう土間を二人で三時過ぎには終わらせると帰って行った。手が早いだけでなく、まだ充分に固まってはいないコンクリートを見事にならしていったそうである。