茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(275)「神もなく主人もなく国家もなく」

加藤匡通
八月××日(木)
  気温の変動は激しく、今日など八月だと言うのにTシャツ一枚では寒いくらいだ。強くはないものの、雨も降っている。荷物を減らしたかったこともあって作業服の上に着る一枚を持って来なかったが,これは失敗だった。明らかに寒いのでコンビニで安い(つもりだが実は割高な)ビニール合羽を買った。雨対策ではなく寒さ対策だ。
   今日の現場は先週も入ったそろそろ終わりのマンション改修現場。元請T社は本来塗装屋で、いつの間にやら改修工事を元請として請負うようになったらしい。以前も書いた通りスーパーゼネコンの現場に比べるといろんなことが大らか、それのが証拠に養生・クリーニングで入っている派遣会社の僕たちはこのところヘルメットを被っていない。足場もなく危険作業もないから、が理由だが、僕たちの作業場所は現在主に廊下。安全と言えば安全だろうが、スーパーゼネコンなら仕上がった屋内でない限りノーヘルでの作業なんて考えられない。ま、今日も一日養生剥がしだ。
   現場は朝礼が八時十五分からで作業開始が八時半とは前にも書いた通りだ。現場の扱い的には通常通りの八時開始で五時には上がれるものと思っていたら、入った初日に職長から五時半上がりなのでそれまでは帰らないようにと釘を刺された。他職は仕事の区切りで早目に上がっている。彼らは受け仕事、仕事の範囲が割とはっきり決まっているから受け持ちの部分が終われば早上がりでもんたない。しかしこちらは常用、監督の指示に従って時間内目一杯働く役割なので早く帰れないのは仕方ない。しかしどうも納得出来ないのでよくよく聞いてみたら、監督が五時半まで残れと言っていると言うよりは職長が半まで残るべきだと判断しているようだ。その判断はおかしいのでは?初日に職長に文句を言ってもめていれば以降この現場には入らず済んだのかも知れないが、今から文句を言うのもなあ。この場合、仮に半まで仕事と言うのが正しかった場合は朝礼の十五分は早出と言うことになる。本来その分は残業代として支払われれべきだが、朝礼の早出分を払っている会社は多分ない。派遣会社に限らず、だ。建築現場に残業代の支払いと言う概念はないと言っていい。車で移動も多く、早朝に事務所なり置き場なりに集合して八時までに現場に入り、五時に終わって事務所解散は当たり前、拘束時間が十二時間なんてのも珍しくないからだ。残念ながら僕もそれに馴染んでしまっていて、新人が朝礼早出分が出ない現場には行かないと言っていると、それじゃ行ける現場なくなるぜと思ってしまう。
  夜に守谷で『パンズ・ラビリンス』をやっている。午前10時の映画祭の影響で旧作の上映が始まったらしい。前に『インファナル・アフェア』を見た枠で、あの時は朝イチの上映しかなく仕事を休みにして見に行ったがやはり夜もやってくれとの要望が強かったらしい。当たり前だっーの。月曜から金曜までで、夜は七時二十五分から。調べたら、今日の現場を五時半に出ると七時二十五分には間に合うか怪しい。しかしこの機会を逃せば劇場で見る機会があるかどうか。数分頭を見逃すのは仕方ない、丸一本見逃すよりはましだ、そう思って半になるなりみんなに挨拶して詰所を抜け出した。が、案の定冒頭の数分は間に合わなかった。仕事は五時で終わりにしろよ職長!
  宇宙怪獣と巨大ロボが殴り合う『パシフィック・リム』も悪くはないしニューヨークの地下で怪物が暴れまくる『ミミック』も捨てがたい。けどギル・デロの最高傑作は『パンズ・ラビリンス』じゃないかと思う。内戦下スペインのファシズムを形象化したかのような怪物たちも素晴らしい。フランコ側にとらえられた農民の持っていたパンフレットにあるスローガン、「神もなく主人もなく国家もなく」はもちろんアナーキストのものだ。僕は賃金奴隷で自分の終業時間さえ決められないが、それでも神も主人も国家もいらないと思っている。