茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(331)すなわち、私は一体何者か

加藤匡通
十二月××日(木)
  都心のマンション改修工事に来ている。何度も呼ばれている、派遣会社が一次で入っている会社だが今回は雑工として呼ばれている。へえ、普段は養生・クリーニングで呼ばれてるけど、こんなこともあるんだ。
   工事は終盤、あと一週間で終わりで今日は一階のバルコニーの片付けだ。朝一番は監督と二人で荷物の移動で汗をかき、十時前から片付けに取り掛かる。一部屋分だけだが、一面に粒の大きな木材チップが敷き詰められ、植木やプランターが一ヶ所に集められている。プランターからひっくり返したとおぼしき土の山もいくつか。おう、望むところだ、と何かを勘違いして床一面の全てを塵取りでガラ袋に詰め始める。こんなもん午前中で終わらせてやるぜと意気込んだものの監督がそろそろ昼と声をかけに来た段階でまだ三分の一が残っていた。監督の想定より進んでいたらしいが僕の中では負けである。
   現場は都内の高級住宅地だった。大学に入った夏にこの辺りにはアルバイトで来たことがある。バブル真っ盛りの都心の住宅地がどんなだったのか、見事に記憶はない。その頃の僕にはまだ階級意識と言えるようなものはなかった。バブルとは言っても二十五年以上前で、そこからさほど離れていないターミナル駅の近くにはまだ銭湯があった。もちろん入ったことがあるさ。今この街に来ると、高そうな家ばかりの居心地の悪いところとしか思えない。多分僕が大学生だった頃からそうで、僕が気付いていなかっただけなのだろう。
   三時までかかって袋詰めを終えた。ガラ袋は百袋を越えている。次はこのガラ袋の山の移動である。バルコニーは表より数メートル低い位置にあり、ゴミの仮置き場へは階段を担ぎ上げて行かなければならない。バルコニーから階段まで二十メートル程度だが片側の壁には塗装のための足場が建ち、反対側は隣の部屋のバルコニーでこれまた荷物でいっぱい、通行を邪魔している。本気で歩き易いように片付けたら五時までかかりそうだし今日は手を着けたバルコニーをきれいにしてくれと言うのが監督の要望なので最低限歩けるような片付けしかしない。まあとにかく歩きずらいのだが、さすがにこれを運び切るのは今日の仕事ではない。袋詰めを始めた際の監督との会話は「ここ今日中に全部片付けですか?」「終わらなくても大丈夫だから。明日雨だから土曜にまた呼んで袋上げてもらうから。」「土曜うち来れるかわかりませんよ。土日忙しいみたいだし。」「うん、さっきそう言われた。」「俺今日でよかったな。」「なんで?袋詰めの方が嫌じゃない?」「明日の雨で水吸って重くなってるし、水なんて切れるわけないから担いだら濡れまくりですよ。」「いい想像力だねえ。」だった。いや、土曜でなくてよかった。最近足腰が弱くなってきているのか階段辛いんだよ。何度も登り降りするのは勘弁してほしい。休み時間を削って作業していたのでその分早く上がりにすると監督から言われていて、十数袋運んで三十分早く終わりになった。
   で、昼休みのこと。十時に読んでいた本について監督に聞かれた。「随分厚そうだけど何読んでるんですか?」上手く説明出来そうになかったので本を渡した。読んでいたのは『都市と暴動の民衆史』と言う本である。とても面白くいろんなことを考えさせられるが、僕が自分の関心にそって正直な説明をすれば監督は退くだろう。まだ直に見てもらう方がいい。ちょっと間を置いてから聞かれた。「加藤さん何者ですか?」アナーキストです、と答える訳にもいかないし、そもそもわからないだろから「日雇派遣ですけど。」と答えた。「大学の先生とかじゃないんですか?」非常勤講師かと思ったようだ。いえ、そんなインテリじゃないっす。それに、少なくとも僕のいる派遣会社で大学非常勤講師が日雇派遣として働いているのは見たことがない。そんな奴がいれば読んでる本でわかる。まあ、肉体労働の現場で硬い本を読んでいれば尊敬より嘲笑の対象になるからわざわざ現場じゃ読まないのかもしれないけどな。僕が現場で硬い本を読んでいるのは別に嘲笑されたいからではない。他に時間を作れないからだ。現場で読めなきゃどこでも本を読む時間なんて作れないよ。
   以前資材移動のトラックに同乗した時、運転手と話していて流れで何を読むのかと聞かれた。こういう場合、どんなジャンルの小説を読むのか、好きな作家は誰か、が質問意図である。ここで自己啓発本やビジネス書を答えたら読書人とは見なされない(この書き方ひどく嫌らしくてヤだな。上手い言い方ないのか?)。だが僕はもう何年も小説なんかろくに読んでないのだ。読みたくても先に読まなければならない本があって読めないんだよ。と言って適当な答も浮かばず、多少オブラートにくるんで事実を言ってみた。「人文科学、社会科学とノンフィクションですかね。」一応配慮してノンフィクションも入れた。予想だにしない答だったのだろう、明らかに言葉に詰まってから「それ、面白いの?」と帰って来た。面白いに決まってるさ!でもわかんないよな。「社会運動の経験と理論」とか「革命論」とか答えなかっただけましと思ってもらいたいんだが。この時の運ちゃんの頭の中でも「君は何者だ?」と言う疑問が渦巻いていたに違いない。