茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇い派遣日記(28)

                加藤匡通

五月×日(月)  「結婚」

 この日記には仕事とその周辺や、地域と貧困に関することなんかを書くようにしている。組合ブログの一角で書いているのであって僕の個人ブログではないから、日常の事柄や本や映画の感想を書くつもりもないし 、組合活動については別立てで書くようにしている。しかし今回は仕事とその周辺でも組合活動ですらなく、個人的なことを書く。
 知人の女性が「結婚」した。
 彼女はもう十年近く付き合っている男性と生活を共にしている。家族にも職場にも告げていて、本人に聞いたら結婚したという意識はあるが役所に届けるつもりはない、ということで事実婚である(ついでに言うとその話を本人から聞いた直後、まだ飲んでいた僕は一晩泣き明かしたらしい。後日友人に教えられたが僕は見事に憶えていない。これは僕と彼女の関係を知っている人には可笑しい話のはずだけど、これ以上詳しく書かないので事情を知ってる人は分かっても余計な書き込みをしないように)。二人の関係に変化が起きたのは今年に入ってからだ。
 彼女が妊娠したのだ。父親になる男性は生まれてくる子どものことを考えると籍を入れた方がいいのではないかと考え出した。二人は何度も話し合って、結局は彼女が男性の戸籍に入ることになった。仕事ではこれまで通りの名前で通すことにしたそうだ。
 職場で報告したらご祝儀をもらってしまい、事実婚の報告の時にもらったからと返そうとしたら「おめでたいことだから」 と言われてしまったと嘆いていた。事実婚で通していた者が改めて籍を入れることをどうしてめでたいと言ってしまうのだろう。善意の祝福は同調圧そのものと僕には思える。名前を変える、に限って考えたって、名前とは本人の人格の一部と言っていいくらいだろうにそれを変えることが女性の側だけにほぼ強制されているの、おかしいだろ?(もっとも、こう書いている僕自身が男性で付き合っている相手もいないので名前を変える可能性は現状ではほぼないから説得力に欠ける、と言うかおまえが偉そうに言うな、は正しい)
 家族制度は国の基本で、夫婦別姓が実現すれば国が滅びるといっている人もいる。そんなことじゃ残念ながら国は滅びないし、その程度で滅びるんならそれで一向に構わないとも思う。国なんかなくったて人間は生きていけるし、ひとつの国が人類が死に絶えるまで続くはずもなかろうに。
 制度は強固で、人々の意識に中で強力に根を張りまくっていて容易には変えるどころか傷一つつかないように見える。それでも多くの人々の様々な行いによって、現実に生きている人たちの数多くの行いによって制度を変えていくことは出来る。
 だから、あなたの生活の中での行いには力強い意味がある。歴史とは人々の生活の積み重ねのことなのだから。