茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇い派遣日記(50)日曜出勤

       加藤匡通

九月×日(日)

現在絶賛自己破産中の会社を親から継いで紛い物の経営者をやってた時期、家賃等は事務所兼住居なので会社経費で落ちる、食費生活費は親の年金でどうにかなる、しかし僕の金はまったくないという状態だった。遊ぶ金がなかったわけです、ハイ。社員の給料は分割した上に遅配というひどい状況だがどうにか出せたものの自分の給料はどうやっても作れなかったのだ。そんな金がありゃ支払いに回すべき、いや格好付けてるんじゃなくて本当にそう考えてたんだって。経営者は役員報酬というそうだが日当七千五百円×日数でも役員報酬っていうのかよ?
仕方がないので土日は日雇派遣に復帰することにした。茨城から東京の建設現場に通う生活の始まりである。平日は会社の仕事をだらだらやって五時にはすぱっと切り上げ、土日は平日より早く起きて普段は車で移動なので荷物なんか担がなくて済んでいたところを重いかばん担いで電車通勤。拘束時間はもとより実働時間も本業より長い。おまけに本業より高い給料がきちんと出るとなれば、日雇派遣の方がまともに働いてるって気にもなるわな。父の存命中にも日雇派遣には出たかったが、さすがに余命をつきつけられた経営者に金がないからバイトしてくるとは言えなかった。
ということで僕にとってその頃の日曜出勤とは日雇派遣の現場のことだった。
珍しくG社の仕事で日曜出勤の声がかかった。「月曜朝イチでコン打やりたいんだけど、日曜に砕石敷いといてくれないか?」二トンダンプ一台分の砕石を夕方に開けて山にしとくからそれを動かしてくれ、という。この現場は住宅展示場でスケジュールはきつきつ。だから少しでも作業を進めておこうとこういう話も出てくる。数時間の仕事、出るのも帰りも好きな時間で終わりじまいで一人区。日曜のスケジュールを考えてみたがどうにかなりそうだ。それに夏休みが長過ぎてすっかり干上がっている、金は欲しい。
十二時前に現場に着くよう家を出た。展示場は日曜は見学者の来る日で作業にはうるさいがさすがに追い込み時期なので内装屋が出ていた。普段は家本体の工事はほぼ終わっている状態で外溝工事に取りかかるが展示場にそんな余裕があるはずもなく、各業者が並行していて実にせわしない。もっとも、ゼネコンの現場はどこもいくつもの職種が入り乱れて作業をしているものなので、僕はそんなにうるさいとも思わない。というかこのくらいならまだまだ穏やかなものだ。
作業内容は砕石の移動というかコン打のための盤作り。七、八メートルの長さの玄関脇のスロープを月曜にコン打する。今の状態はただ剥き出しのコンクリの躯体があるだけでなんの傾斜もついてはいない。段差は五十センチを越える。そこに山と積まれた(文字通り山になっている。高さ百二、三十センチ)砕石をネコで運んでスロープの下地を作る。別にその上に鉄筋を組む訳でもないので簡単なものだ。実際、それだけの作業なら訳はなかった。十二時前に着いて十二時まで作業をするための準備でスロープ予定地に積んであるタイルの山を動かしたりして、昼食後一時から作業開始、三時にはほぼ終わっていたのだ。コン打天端から逆算した砕石の高さが本当にこれでいいのか悩んだり、多めに入れ過ぎてスコップで放らなきゃならなきなったりはしたもののここまでは順調だった。しかしその後にスロープから続きで砕石を敷く場所が土のままで高いので十センチ下げないといけない。これも、それだけならあた訳はない。が、昨日ダンプアップした砕石の山は十センチ下げるべき場所を半分ふさいでいる。砕石をどかして土を掘って下げ、そこにまた砕石を敷く、という面倒臭いことを繰り返さなければならない。どこに砕石動かすんだよ!当然もう高さを決めた盤の上にスコップで動かして、砕石敷いたらまた高さを出さなきゃならないのだ。二度手間とはこのこと。普段の仕事で二度手間なのはたいがい自分のせいだが今日は違うぞ。
結局午後まるまる使ってしまった。せっかく日曜の午後に東京に出て来てるけど、疲れたからもう帰ります。