茨城不安定労働組合

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賃[貧困文学]賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(看板に偽りあり)(145) 臓器提供についての意思表示をしなさい

加藤匡通
二月××日(火)
  会社を畳んだ時に引っ越しして自動車免許更新の案内葉書が届かなかった。気がついたら誕生日を過ぎ更新期限が迫ってて、雨で休みになった日に慌てて最寄りの警察署に手続きしに行ったが、後日講習を受けることになった。茨城の免許センターは水戸にある。そこまで出れば一日で終わったが水戸まで高速使わないとニ時間、遠いんだよ。
  当然講習は平日昼間でそのために休んだけどそれはいい。茨城でも今回から免許証にICチップが入っている。国民総背番号制は着々と進行しているなあ、と思ったら法案閣議決定だよ。でもそれも今回言いたいことではないからいい(いや、よくないだろ!)。免許証を見て絶句した。裏に臓器移植についての質問がある。同様のものは国民健康保険の保険証にもあって、去年見つけた時にやはり絶句した。その時は仕事や地域での生活についての話でもないのでこのブログに書く話じゃないと思ったが、これはひどい。言い訳しながら書くことにした。
  で、少し地域の話。講習を受けたのは経営者時代に何度か来た職安の隣にある常総生涯学習センターで、利用の仕方を聞いたら使いやすそうだったので、そのうち使ってみよう。ちなみに僕の地元つくばみらい市は市民が利用しづらい運営を心掛けていて、政治的な活動には地域センターを貸さない。僕は一度借りて、二回目をしようと使った直後に窓口で手続きしようとしたら断られた。イラク戦争について考えるのは駄目らしい。
  免許証の裏面にはこうある。「以下の部分を使用して臓器提供に関する意思を表示することができます(記入は自由です。)。記入しる場合は、1から3までのいずれかの番号を○で囲んでください。/1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。/2.私は、心臓が停止した死後に限り、移植のために臓器を提供します。/3.私は、臓器を提供しません。(以下提供する臓器の選択等は略)」先に質問と書いたが形の上では質問でもない。これは臓器提供への意思をイエス/ノーのニ択で問うこと自体が思想・良心の自由に反した、特定の問題について自己の内面を明らかにさせる強制と見なされるという議論を踏まえてのことだろう。けどこれに何も記入しないで例えば事故にあって脳死状態になると、家族が同意すれば臓器提供は行われる。だから提供しないならここで意思表示していた方が安全、と結局ニ択に飲み込まれてしまう。臓器提供について考えておくのは国民の義務、思想・良心の自由より大事です、と言ったところだろうか?
   臓器移植法の成立は人体を資源と見なす社会の宣言だ。臓器を必要としている人はいるだろう。しかしそのために人の死を心臓停止より早めるのはおかしくないか?それは一人を助けるために一人を殺すことになりはしないか?
  臓器移植に反対なのは、というか正確には脳死状態での臓器提供に、というべきかもしれないが、理由はいくつかあるものの、多分この一例で充分だろう。脳死状態の患者は当然意識はないものとされている。臓器提供手術の際にはこの、意識のない脳死患者に全身麻酔がかけられる。何故か。麻酔なしでメスを使うと意識のない脳死患者は激しい暴れるのだ。つまり手術にならないのである。それって痛がってるってこったろ。そんな反応する人間の内臓抜き取るの、やっちゃいけないだろ。