茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

大阪での関電前抗議行動でのこと

転載です。『今日の生き方』というブログからですが、そこも転載で、もとは下記のブログです。

『薔薇、または陽だまりの猫』


大阪教育合同労働組合書記長 竹林 隆さんから

                                          • -

先週金曜日(20日)の夜、組合として、大阪での関電前抗議行動に参加してきました。そこであったことについて先ほど、以下のメール文を首都圏反原発連合にあてて送りました(なぜ、大阪でのことを首都圏に対して送ったかという理由は文中に書いてあります)。

この一連の問題について、もっと議論がされるべきだと思いますので、メール文を紹介します。

【以下、メール文引用】

首都圏反原発連合のみなさん、毎週の官邸前抗議行動の運営、お疲れ様です。

私は大阪で労働運動をしている竹林といいますが、一昨日7月20日(金)の18時、大阪の関電本社前の抗議行動にはじめて組合として数名で参加しに行きました。

そして行動に参加してしばらく(およそ30分ぐらい)たったころ、「STAFF」の腕章を付けた方が話しに来られて、「組合旗を下ろしてほしい」と求められました。それで、そのことについて結局、行動の終了時間までずっと議論を続けるという状態になってしまいました。とても残念です。

そしてそのことをなぜ、首都圏反原発連合のアドレスの方にお送りするかというと、その時の主催者の話の中に「私たちは運営や方針などすべて首都圏と連動してやっている」との説明があり、大阪の「TwitNoNukes大阪」のHPを見てもどこにもメールアドレスが記載されていないので、やむなくそちらにお送りすることをご了解ください。

さて、関電前で主催者の方たちは私たちに対し、おおよそ以下のような説明をされました。

「この運動は<再稼働反対>のシングルイッシューで集まっている」
「組合旗があるとみんな足が遠ざかってしまう」
「安全で安心な行動を守っていきたい」etc.

ちなみに私たちは何も、組合としてのアピールをマイクで訴えるなどということをするために関電前に行ったわけでもなんでもありません。ただ、日ごろ組合として取り組んでいる反原発の闘いの延長として、みんなで行こう、ということになったのです。主催者に声をかけられるまでずっと、みんなと一緒に「再稼働反対!」のコールを上げ続けていました。

この日一緒に行った30代前後の若い組合員たちの中にも、これまでにこの行動に個人として参加した者もいます。私も何度もそうしていました。けれど、いつまでも個人の課題ではなく、さらに闘いを広げるため組合として参加しようと議論しました。そして、「TwitNoNukes大阪」のHPに記載された「特定の政治団体」に労働組合は該当するか? しない! 「特定の政治的テーマ」に
労働組合名は該当するか? しない! と一つ一つ検討した上でこの日、組合旗(といっても正式な組合旗ではなく、縦長のいわゆる「のぼり旗」です)を持参して参加したわけです。

なお、もし、労働組合というものを「特定の政治団体」と認識されるのでしたら、根本的な理解が一致できません。この点について、大阪の主催者は「労働組合のバックには支持母体の政党がある」という何とも許しがたい発言をして、私たちの怒りを買っていました。私たちの組合には、100%一切特定の政党との支持関係はありません。むしろ、そういう主催者側の発言の背景にこそ、これまでの既成の労働組合を見聞して訳知り顔になっている意識、旧態依然とした古い価値観が牢固として存在していることを見せつけられました。

私たちも、そして皆さんも、オルタナティヴな社会を、もっと新しい価値観の社会を目指しているのではないのでしょうか?

また、私たちは最初、この運動は<反原発>の一点で結集しているかと思っていたのです。シングルイッシューで結集、というのはそう意味で理解していました。が、そうではなかったのですね。一昨日の主催者の話によると、原発労働の問題だとか、先住民のウラン被曝の問題だとか、核燃料の再処理問題であるとか、原発利権=原子力村の問題だとか、そういったことも持ちこまれたら困る、ただただ<再稼働反対>のコールを上げることだけで集まっている、ということだそうです。

率直に言って、それだけを続けていて反原発運動が前進するとは思えません。

また、「組合旗があると足が遠ざかる」とも言われましたが、その彼は「みんなそう思っている」というので思わず、「じゃ、アンケートでもとったのか」と言わずもがなのことを言ってしまいました。

考えても見てください。「労働組合の旗があるとみんな怖がる」「労働組合の旗があるので足が遠ざかる」、これらの主張をして喜ぶのはだれですか。今、私たちの組合の周りでも増えている20代、30代の非正規労働の問題を考えた時に、そう、今、首相官邸前や関電前に集まっている多くの若者がそうであるように一方の富裕な正規労働者と、巨大な非正規労働者の海をつくりだして対立させ、労働組合というものはそんな正規労働者=恵まれたものの組織なんだから気にしなくていいよ、なくなってもいいよ、と思わせて得をするのはだれですか。

現実には、そんな非正規の労働相談の一つ一つを丁寧に取り上げて使用者に非を認めさせ雇用・労働条件を獲得してきたのが労働組合じゃないですか。

たしかに、一部の正規労働者のみの大手既成組合で御用組合としか言いようのない組合はあります。その筆頭が電力総連でしょう。

しかし、私たちの組合は断固として違う! 正規ー非正規の分断を乗り越えることをずっと追求してやってきました。そんな私たちにとって、反原発の課題も、<組合とは別に個人で勝手にやってたらええやん>というものではないんです。職場にも原発の問題はあるんです。それを職場での闘いで、組合としてこの間闘っています。この社会のあり方<パラダイム>を転換させるための大きな課題に原発問題があり、日常の職場闘争とも通底しているのです。

そのことを無視して、「あんたたちも、組合とは関係のない個人としてきてくださいよ」というのは、私たちに、トータルな人格を分裂させよ、と言っているのと同じなのです。

言い方を変えましょう。関電前で主催者の方が私にこう言いました。「心の中で組合員であってもいいから、ここの場ではそれを表にあらわさないでくれ」と。

本当に絶望的な怒りと、悲しみを覚えます。

この言いぐさは、あたかも、「日の丸・君が代」を強制する文科省・教委・首長・裁判所がみんな口をそろえて私たちに言ってくる「心の中で『君が代』に反対するのは自由だが、卒業式ではそれを外形的に表すのはダメだ」と鏡のように相似形です。

さらに、そんな議論をしている私たちに対して、ほかの参加者から「ルールは守れよ!」という声がかかりました。この声は「『君が代』起立のルールは守れよ!」という「市民」の声と重なります。この場での「ルール」確定に私たちがかかわった記憶はありません。いつの間にこの国は、<どこかのだれか>が決めた「ルール」と呼ばれるものをアプリオリに「守らなければいけないもの」とみなしてしまう心性ができあがってしまったんでしょうか。

で、一方で、この関電前行動でも「日の丸」の旗を持っている者もいます。毎回何人かいます。主催者の説明では「彼らにも、遠慮してくれと言っている」とのことですが、実態として変化はありません。東京では、主催者が「日の丸」に抗議する参加者に対して「あれはただの旗だ」と説明した、とも仄聞します。


こうなってくると、本当に私たちは理解不能です。「日の丸」は「ただの旗」といいなして、労働組合旗に対しては「怖がる」「足が遠のく」と言い募る<反原発運動>って、何なんですか? あなたたちは、どこに立って
いるんですか?

まさに、原子力ムラの巨大利権に群がってくる政財官の有象無象のオヤジやジジイ連中がつくっている共同体の表象が「日の丸」じゃないのですか?

ところで、前述のように、私たちに対して主催者の方はこうも言いました。「安全で安心な場を確保したい」と。組合旗があればそれが確保されないそうです。

いま、私たちは大阪の地で、必死に、本当に文字通り必死に、橋下による労働組合潰しと闘っています。橋下はさかんに、あの手この手で労働組合というものは無用なものだ、むしろ危険なものだ、と市民に刷り込もうとしています。

それに対し、私たちは必死で、労働運動は社会的運動の重要な一つであり、この貧困・格差社会の中での欠かせないセイフティ・ネットの一つだと自負しています。

そんな橋下と闘っている私たちに対して、反原発の行動の中で、主催者側から、「組合は<安全>で<安心>なものではない」という偏見に基づく説明をされたことに抗議します。

その主催者の説明では、要は、この場での判断基準は、「再稼働反対」の一点の運動かどうか、そして結局のところ「見た目」(外形的に、「うちら、個人で来たでぇ、ほら、こんなにデコッたプラカードもつくってきたしい〜!」というようなレベルの問題)だということです。その基準に労働組合は合わないと判を押されたということです。

結論として今回、私たちは、いくら主催者が「実力で排除はしません。あくまでお願いをします。これからもお願いをします」とは言
っていても、精神的には完全に排除された、との感を深くします。

しかも、そこで聞こえた言説が、橋下や教委の主張とうり二つであったことに何とも言いようのない情けなさや哀しさを覚えます。

「STAFF」の腕章をして走り回っている主催者の多くが若い人たちであるのに、その体現する価値観がなんと古色蒼然としたものであるかということにめまいを覚えます。

私たちは、このような現行方針の撤回・変更を求めます。そして、労働組合に対する不当な偏見は絶対に許せません。

わたしたちが今後組合としてこの行動にどう参加するか、しないのかは私たちで決めます。しかし少なくとも、今回の私のメールに対するレスポンスは何らかで公開の形でしてもらえたら、と思います。


【中略】

よろしくお願いします。

2012年7月22日 大阪教育合同労働組合書記長 竹林 隆