組合員加藤からの投稿です。
私たちも君主はいらない
バルバドスはなぜ共和制を選んだのか?
2月6日(日)14時から16時
お話 太田昌国さん(評論家・編集者)
その後、討論
つくば市立吾妻交流センター 大会議室(つくば市吾妻1-10-1つくばセンタービル4Fつくばエクスプレス線つくば駅A3出口より徒歩3分)
参加費500円
主催 戦時下の現在を考える講座 連絡先 090-8441-1457(加藤)
mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jp
blog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
twitter: https://twitter.com/against_war
二〇二一年、世界地図から君主制の国家がまた一つ消えた。カリブ海のバルバドスはイギリスの現国王を君主とする英連邦王国の一員で立憲君主制だったが、十二月一日から共和制に移行した。これによって英連邦王国は十六か国から十五か国になった。
君主制とは、言葉の元の意味では「ただ一人の支配」となる。近年はだいぶ変容して「君臨すれども統治せず」と言われたりすることもあるが、一人だけ偉いものがいて、他の大勢はその者に従うと言う構図は変わらない。天皇のいる「日本国」は立憲君主制の国家である。
英連邦王国とは、イギリスとその旧植民地で構成されるイギリス連邦のうち、イギリスの現国王を君主とする国を指す。カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどが該当し、かつては例えばインドもそうだった。地球上には現在百九十を越える国家があるが、君主制の国家は四十二か国、その三分の一以上が英連邦王国である。二十世紀初めには九十を越える君主制の国家があった。一時期に比べてその速度は落ちているものの、君主制の国家は確実に減少している。
バルバドスはカリブ海の東側にある、種子島ほどの大きさの、人口二十九万人の国である。一九六六年にイギリスから独立した、世界遺産を持つ、サンゴ礁で出来た小さな国だ。
私たちのいる国では大きく報道されてはいないが、これは大きな出来事である。なぜバルバドスは独立から五十年以上経ってから、あらためて共和制を選び、君主制を廃止したのか?そもそもバルバドスとはどんな国なのか?それを考えることは、私たちはなぜ未だに君主制を続けているのかを考えることでもある。
だが、問いはここでとどまらない。バルバドスが選んだ共和制とは何だろうか。それは手放しで礼賛できるものなのだろうか。できればこのようなところまで考えてみたい。
20世紀に君主制から共和制に移行した国
アイスランド、アイルランド、アフガニスタン、アルバニア、イエメン、イタリア、インド、イラク、イラン、ウガンダ、ウクライナ、エジプト、エチオピア、オーストリア、トルコ、ガーナ 、ガイアナ 、ガンビア、カンボジア、ギリシャ、クロアチア、ケニア、シエラレオネ、ザンジバル(タンザニア)、シッキム、スペイン、セイロン(スリランカ)清、タンガニーカ(タンザニア)、中央アフリカ、チュニジア、ドイツ、トリニダード・トバゴ、ナイジェリア、パキスタン、バルト(ラトビア)、ハンガリー 、フィジー、フィンランド、ブルガリア、ブルンジ、ベトナム、ポーランド、ポルトガル、マラウイ、マルタ、南アフリカ、モーリシャス、モルディブ、モンゴル、ユーゴスラビア (クロアチア、コソボ、スロベニア、セルビア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロ)、ラオス、リトアニア、リビア、ルーマニア、モルドバ、ルワンダ、ロシア
21世紀に君主制から共和制に移行した国
アフガニスタン(二〇二一年、国際的には承認されていないが君主制に移行)、ネパール、バルバドス