茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

国体なんかいらない   天皇代替わりと国民体育大会を問う

組合員加藤からの投稿です。


国体なんかいらない   天皇代替わりと国民体育大会を問う
 次の天皇の即位までもう残り数ヶ月。十連休だ、「平成最後の〜」だと世間は浮かれている。時給で働く人には十連休なんて災害でしかないし、役所や病院が十日休むのも災害に近い。一連の代替わり儀式には百六十六億円かかると言う。社会保障を削って、消費税が上がって、だ。財源が違う?でも元々は税金だよね?

 二十世紀の初め、世界の人口の九十パーセントは君主制の下で生きていたが、六十を超える国で君主制は廃止され、現在残っているのは約三十か国、世界人口の十パーセント以下に減っているという。二十一世紀に入ってからもアフガニスタン・イスラム首長国とネパールで廃止されている。世界的に君主制基本的人権に反するものとして廃止されつつある。

 天皇の行うことは憲法で規定されている国事行為の他は全てが私的行為、個人的な事柄のはずだが、実際には憲法に規定されていない公的行為を数多く行っている。例えば皇室外交や園遊会であり、国民体育大会全国植樹祭、全国海づくり大会の三つはそれらの中でも全国を巡回して行われる三大行事といわれている。

 十九年の九月から十月にかけて茨城に国民体育大会がやって来る。そのことの意味を考えたい。


2019年2月10日(日)14時から 

吾妻交流センター大会議室(つくば市吾妻1-10-1つくばセンタービル4F つくばエクスプレスつくば駅A3出口より徒歩3分)

お話 井上森さん(元・やってる場合か!『スポーツ祭東京』実行委員会)

イノリさん(もう、やめよう国体!埼玉の会)

参加費 500円

主催 戦時下の現在を考える講座 連絡先 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jp

blog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com

twitter: https://twitter.com/against_war



国体なんかいらない。
 国体=天皇制なんかいらない。例えば憲法基本的人権主権在民といった原則は天皇がいるだけで破綻する。生まれた時からエラい人がいる社会は平等な社会ではないし、以前は唯一人の主権者だった存在が象徴と言われては、私たちは本当に主権者なのかと疑いたくもなる。
 いや、憲法なんて持ち出さなくても、私たちは臣民でも奴隷でもない。たかだか百五十年前に当時の政府が作った制度を伝統だと言われても困る。そんな伝統はインチキだし、私たちを抑え込み従わせようとする伝統なんかいらない。それに、生まれながらにエライ人がいるとは生まれながらにエラくない人がいるということで、それはとても差別的な考え方じゃないか?
 私たちは天皇制なんかいらない。
 
国体なんかいらない。
 国体=国民体育大会なんかいらない。
 国民体育大会は戦時中の総力戦を戦える「国民の体力」を増進させる政策に端を発し、敗戦後スポーツを通じてナショナリズムを鼓舞するために計画された。現在の中心的な主催者日本体育協会も前身は戦時中の政策を担っていた。
 開催県が毎年優勝する不可思議なスポーツ大会として知られるが、全国規模の催しでありながら開催県の一部だけが盛り上げようとしている催しであり、学校の生徒や教員、自治体職員への過度の負担と、施設整備などで膨れ上がった開催費用から無用論や廃止論も語られているイベントである。既に子どもたちは学校で、数年前から国民体育大会のために授業を使って練習を行っている。七十四年の茨城国体では汚職も発覚した。
 さらに、法的根拠のない天皇の公的行為として、大会での天皇の出席、あいさつが恒例となっている。しかし、これまた憲法での規定もないのに国家元首扱いをされるような人物が法的根拠のないことを職務として行っていいはずがない。それに、そもそもスポーツは天皇や政治家に見せるために行うものではないだろう。
 私たちは国民体育大会なんかいらない。

四月、六月、八月と国民体育大会についての学習会を行い、九月から十月にかけて行われる「いきいき茨城ゆめ国体」期間中にいくつかの催しを行います。乞御期待!
この問題に関心のある方、共に考え、動いてみたい方は連絡を!


ロイヤルボックスに/すわっている/あなたは/僕たちを見て/何を思っている
この十四分間のために/僕たちは/旅行を失い/授業を奪われ/クラブを乱され/貧血で倒れた
僕たちには/あなたの拍手もいらない/微笑みもいらない
これを行なう理由/それが欲しい/僕たちにわかる答えが欲しい
あなたがそこにすわる一ト月前/雨の降る土曜の午後/集会が開かれ/激論がかわされ/校長が泣いた
あなたはそれを知らない/知らないあなたは/僕たちを見て何を思う
(1967年埼玉国体マスゲームに出場させられた浦和市内の高校二年生の詩)