茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

五月の労働相談

 

茨城不安定労働組合では月2回、第二第四水曜に労働相談を行っています。
解雇された、給料が払われない、休みがとれない、嫌がらせをされている、入ってみたら条件が違う、と言った労働相談から、解雇されて金がなくなり家賃が払えない、既に部屋を出されている、生活費がないと言った生活相談まで、正社員、アルバイトなどを問わず受け付けます。自営業、管理職でも大丈夫です。まずはご相談を。

 

五月の相談会は下記の通りです。

第一回相談会 5月12日 水曜日 20:00〜22:00

第二回相談会 5月26日 水曜日    20:00〜22:00

相談電話番号 090-8441-1457(加藤)

 

4月から当分の間、組合事務所での相談を中止し、電話相談そのものは上記の携帯電話でこれまでと同じ第二第四水曜日の20-22時の時間帯で継続します。(携帯電話への相談はいつでも受けつけています。お急ぎの時は労働相談日を待たずに電話してください。)

 

 

 

コロナ状況下で働く人の権利 学習会・相談会

コロナ状況下で働く人の権利 学習会・相談会
5月30日(日)
13時30分~16時30分
土浦市亀城プラザ 第二会議室
土浦市中央2-16-4 JR土浦駅徒歩十分 JR土浦駅西口にからバス「亀城公園前」下車)
13時30分~ コロナ状況下で働く人の権利 学習会 講師 加藤匡通(茨城不安定労働組合 執行委員長)
14時30分~ コロナ状況下で働く人の権利 相談会
参加費 無料
主催 茨城不安定労働組合   連絡先 090-8441-1457(加藤)

学習会と相談会の二本立!

 厚生労働省の発表によれば新型コロナウイルスの影響で解雇や雇止めにあった人は9万人を超えたそうです。解雇や雇止めまでいかなくとも、収入が減った人は多いでしょう。世界的にも、リーマンショックを上回る経済的な打撃だといわれています。企業はその打撃の痛みを、労働者に向けました。その結果の9万人です。
 そんな中でも、有無を言わさず真っ先に切り捨てられるのが、私たち非正規の不安定労働者です。私たちは多くの場合孤立していて、会社の言い分に反論もできず泣き寝入りしがちです。そんなとき、力になるのが労働組合です。労働組合は、労働者が自分たち自身の手で自分たちの問題を解決するための集まりです。自分たち自身の力で、会社と交渉をして、一つ一つ問題を解決していきます。
 会社から解雇や雇止めを一方的に告げられているあなた。収入減の補償は一切ないといわれたあなた。パワハラをされているあなた。会社の言い分に納得できないのなら、いえ納得はできてもやっぱり大変だ、それでは私の生活ができない、と思うなら、相談してください。もちろん新型コロナウイルスとは関係のない相談も大丈夫です。
 私たち茨城不安定労働組合非正規労働者を中心とした労働組合です。相談に来た方と共に問題を解決していきます。 また、当日はコロナ状況下で私たちが知るべき労働者の権利や制度的なことなどの学習会もやります。
なお、感染症の拡大状況によっては会場使用ができない場合もあり得ます。詳しくは連絡先電話までお問い合わせください。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(500)「現場に来てまで本なんか読んでる馬鹿がいるか!」

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(500)「現場に来てまで本なんか読んでる馬鹿がいるか!」
加藤匡通
五月××日(火)
 設備配管V社の仕事に戻った。小ぶりなマンションの現場に入っている。まだ躯体が立ち上がっている真っ最中、最上階では鉄筋が組まれ、スリーブを入れたりしている。僕はそういった雑作業の要員として戻された。丸二ヶ月振りだ。この間、中国人研修生は毎日現場があった。そういう契約なのだから当然である。職長も当然あった。と言うか、なかったのはどうも僕だけだったらしい。交通費はかかる仕事は出来ないなのによく休む、そんな奴は干されて当然、と納得出来なくはないが、いい気持ちではない。
 本と眼鏡を忘れると一日どよーんとしている。なにせ一番本を読むのは現場にいる時だ。通勤電車の中では寝ている方が多いし、家に帰ってからは本を読む余裕がなくなる。休日は車で動いているのでこれまた本を読む余裕はない。なので現場の休み時間が一番本を読める時間となる。それなのに本と眼鏡を忘れると大打撃だ。
 最近だと土工の初日にこれをやった。その後の苦難を思わせる初日ではあったな。
 建築現場で本を読んでいると快く思われない、とは以前に書いている。何を読んでいるかはあまり問題にされず、本を読んでいること自体に侮蔑的な視線を感じることも珍しくはない。小説どころか人文科学や社会科学の本を読んでいる僕などは訳のわからないものを読んでいるおかしな奴でしかなかろう。
 たまに絡まれたりもする。先日は重機のオペに、よりによって外山恒一の『政治活動入門』を読んでいるのを見つけられて、「選挙に出るんですか?」「自民党がどうなるか教えて下さいよ。」と絡まれた。外山恒一も読者ですらない人間からそんなこと言われたら憤慨するだろう。選挙なんか出るか!俺はアナーキストだ!と言う訳にもいかず、のらりくらりとやり過ごした。
 以前監督が職人にKY日誌をちゃんと書けと言ったら、「字を書いたりするのが嫌だから職人になったんだろうが。」と反論してるのを聞いたことがあるが、これは職人たちの心性を端的に表しているのだろう。字を読むこと自体が嫌いで図面の文字しか読まないと豪語していた職人もいたな。あ、KY日誌のKYは「危険予知」の略で「空気読めない」の略じゃないから。
 本ではなく図面を読め、と言われることもあるが、これは職人に対する指導ないし教育ではある。昔は現場でスポーツ新聞を読んでいても「図面見ろ。」と叩かれたと聞いている。叩けれないだけましになってはいるようだ。指導としては正しいような気はするが、休憩時間なのに?と当然思っている。基本的人権って知ってる?それにワタクシは職人ではありませんが?
 少なくとも法律では、そして裁判でも、休憩時間は仕事のことを考えなくていいことになっている。もちろんそんなものは建前であって、現実には工場の前でも現場の前でも学校の前でも家庭の前でも、そこら中で憲法は立ち止まっている。むしろ憲法が歩みを止めていないところが日本国内に本当にあるのか疑わしいくらいだ。現場で立ち止まっていれば「何突っ立ってんだ!」と怒鳴られるが、憲法は偉いから怒鳴られることはない。俺も憲法だったら怒鳴られずに済むんだがなあ、と思わなくはないが、いやいやアナーキストは「法に死を!」とか言っちゃうお馬鹿さんなので間違っても憲法になりたいとかは思わないんである。
 えーと、何の話だっけ?
 設備配管の仕事をしていると日当が上がっているので階級上昇して自分が労働者になったように思ってしまうが、この一年の新型感染症を巡る一連の経験はそれが勘違いだと教えている。仕事が切れれば自転車操業にすぐ戻り、公共料金すら滞る。元から専門職になることから可能な限り逃げ回っているが、僕は職人=労働者ではない。使い捨てのアンダークラス、図面なんか読まないよ。
 V社の社長は癇癪持ちで、些細なことで始終ところ構わず怒鳴り散らす。職人と電話していて興奮して大声を出すだけでは飽きたらずそこら辺にある物を蹴飛ばしまくるのはよくあることだ。ある朝、あまりのご機嫌麗しさに住宅地の中にある現場の前で車から道具を下ろしている僕たちに向かって「ぶち殺すぞ。」と喚いていらっしゃった、とかいった愉快な逸話には事欠かない。今日も詰所で他の業者がいるのもお構い無しでわーわーと指導だか説教だかをなさっていらしたら、ガードマンから「お前がうるさいんだよ!」と怒鳴り付けられて静かになった。詰所の警備までしている立派なガードマンだと、その場にいた誰もが思っただろう。
 この社長も当然本を読むな図面を見ろと指導する人である。僕以外はみんなスマホを弄っているが、これも嫌いなので「そんなもん(スマホのことだ)弄ってないで図面見ろ!」と指導している。あんなに怒鳴っていてなんで血管が切れないのか不思議だ。ゴムで出来てんのかな?
 で、怒鳴り付けられて静かにしていた三時の休憩中のこと。社長がいる時は昼休みにしか本を読まないようにしていて、その時も本を読んではいなかった。もちろん社長が出ていって僕の基本的人権が回復され、本が問題なく読めるのを切に待っているのだ。しばらくは静かに話をしていたが、やがて声が大きくなってきた。どこかでスイッチが入ったらしい。ガードマンは席を外している。と、突然矛先がこっちを向いた。「だいたい現場に来てまで本なんか読んでる馬鹿がいるか!本なんか家で読め!俺は本なんか嫌いなんだよ!」え、どこでそんな話になったよ?さっきまで違う話してたじゃん!それに今本読んでないのに!
 こんな剥き出しで読書を嫌われたのは初めてだ。前世で焚書でもやってたのかなあ?あまりのことに笑った。戻ったばかりだけど、次を考えたほうがいいかもしれない。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(499)土工終了(多分)

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(499)土工終了(多分)
加藤匡通
五月×日(日)

 連休明けから設備の仕事に戻れそうだと連絡があった。ほっとした。早朝に隣の駅まで車で出て始発で事務所に行くのも、日雇派遣と変わらない金額で働くのもかなりきつい。まして、設備でろくに重い物も持たずにいたところから一日中スコップ握り続けるなんてすっかり体力の落ちている身にはしんどい。それでもこの一ヶ月でだいぶt楽にはなったから、体力も少しは戻ったのだろう。

 W社の土工最後の仕事はコンクリート打設だった。現場に着くまでは一階立ち上がりなので大したことないだろと職長は言っていたが、実際始まってみると当たり前のように違った。コンクリが固くてバイブをかけても流れない、さらにポンプ車の後ろに生コン車を二台つけて生コンをポンプ車に次々に流し込むはずが一台しか入らない。十時三時の休憩などなく昼も四十分だけ、それでも片付けまで終わって現場を出たのは六時過ぎだった。なのに残業は一時間しかつかないのだからやっていられない。
 僕の担当は叩きで、半日薄暗い型枠の下にいた。生コンはただ型枠に流し込んでも鉄筋の入り組んだ型枠の奥までは全く入らない。なのでバイブレーターをかけて流れていくようにするが、それだけでは足りないので型枠の下の方ではコンクリが流れ込んできた部分の型枠を叩く。すると生コンは振動で動く。原理はバイブと一緒、いや逆だな。バイブが叩きと一緒、が正しい。叩くのには叩き棒とか呼ばれる専用の木槌を使う。金槌は、力加減を間違えると型枠を壊しかねないので叩き棒が足りないときにしか使わない。叩く場所は当然移動するのでいつまでも同じところを叩いていると上から怒鳴り付けられるから、型枠の音には注意していないといけないし、コンクリートの入っていないところを叩き続けたりしたらやっぱり怒鳴り付けられる。コンクリが入れば型枠の音は変わるからだ。
 W社の土工はみんな極めて真面目なのか、休憩が潰れても自分から、「その分残業代よこせ」なんて言い出さない。人によっては違うのかもしれないが、W社はその傾向が強い。これもしんどい。納得出来なくとも現場に一番後に入って一番仕事の出来ない奴の言うことなんて誰も聞きやしない。
 まあとりあえず土工は丸一ヶ月で終わりだ。この一ヶ月は仕事の後に映画を見たり本屋に行ったりをあまりしていない。体力的にも金銭的にも余裕がなかった。古本屋はこの一ヶ月で一回しか行ってないんじゃないかな。そんなことも辛かった。
 三度目の緊急事態宣言が出たが、都内で映画を見る気でいた。しかし日程を間違えて憶えていると気づいた。うわ、『非情城市』見逃したか!手持ちの金も少ないし、都内に出るのは諦めようか。連休明けに現場に行く交通費を残していかないと。すっかり自転車操業に戻っちゃったなあ。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(498)「安全帯洗濯機にかけるとすごい音するよね。」

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(498)「安全帯洗濯機にかけるとすごい音するよね。」
加藤匡通
四月××日(木)

 土工の仕事はかなり汚れる。基本の仕事が根切りとコン打ちなんだから当たり前だが、特に根切りだとズボンだけでなく上半身も泥だらけになったりする。今日も見事に泥だらけだ。幸い下半身はヤッケを履いているが、上半身には着ていなかったのでドロドロ。仕事が終わって車に乗る時、全員集まっていたが僕はまだヤッケも脱いでいなかった。「ちょっと待って、ドロドロ脱ぐまで待って。」「脱ぐまで待つから脱いで。」如何に仕事での移動に使う車でも、やっぱり同乗者が汚れまくっているのは嫌なものである。

 安全帯も当然泥だらけになる。安全帯は墜落防止用の腰につけるベルトで、腰袋や道具を吊るす補助具を取り付けたりもする。根切りをやっていると道具も全部ドロドロになる。スケールは中まで泥が入っている。そろそろ壊れるんじゃないか?この道具、こんなに汚れて設備の現場に持ってけるかな。しかしこんなに汚れているのは僕一人、「汚すのは下手だからだ。」って言葉を思い出すよ。

 日雇派遣だった頃もかなり前、二十年以上前、その頃の日雇派遣は何でも屋だったので土工仕事もやることがあった。時には土工の翌日が養生クリーニングだったりすることもあって、そうすると現場で泥だらけの安全帯を持ち込むわけにはいかない。どっかで洗わなきゃならない。僕はコインランドリーを使っていた。もちろん現場で可能な限り泥は落とすし、出来るのなら軽く水洗いはする。で、洗濯機に入れるんだけど、安全帯を洗濯機に入れると金具が回転曹にぶつかってすごい音がするのだ。

 ある時同僚に聞いてみた。「安全帯洗濯機にかけるとすごい音するよね。」「ええ、がっこんがっこんすごい音しますね。」その場にいたもう一人は驚いている。「洗濯機で洗うの!」・・・二人とも今頃どうしてるかな。一人は行政書士目指してたけど、成れたかな。

 あまりに泥だらけなので安全帯をまた洗いたいんだが、さすがに自宅でやると母が嫌がる。けど、考えてみたら最近近所のコインランドリーはドラム式ばかりだ。前面がガラスのドラム式に安全帯を入れる勇気はない。風呂場で洗うしかないか?

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(497)泥濘で『ノマドランド』

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(497)泥濘で『ノマドランド』
加藤匡通
四月××日(木)
 W社での土工は続いている。仕事の内容は設備配管よりこちらの方がまったく持って好みだが、交通費込み一万一千円は痛い。公共料金も遅れ出した。まあ、いつも展開に戻ったな。朝が早過ぎるのも辛い。夜はあまり動きたくなくなっている。
 根切りで泥に足を取られながら矢板入れをしている。基礎の穴掘りをする前に、現場の工事する一体を取り囲むように巨大なH鋼を、杭のように土中に打ち込む。重機による掘削はこのH鋼の内側だ。掘ったままでは土が崩れてくるので、H鋼とH鋼の間に厚めの板を入れて崩れないようにする。この時使う厚い板が矢板である。この板を一枚一枚横にして入れていく。土工の基本の仕事の一つだ。完成すると木で出来たシャッターみたいな感じになる。いや、シャッターじゃないな。巨大な木目板か。

 今日の現場は昨日の雨で足元がぐずぐずになっていて、下手なところに足を入れると長靴が全部埋まる。動き辛いことこの上ない。底なし沼ってのはこうなってるのか。『恐怖のワニ人間』を思い出すぜ。
 作業中、ユンボのオペさんが聞いてきた。「加藤さん、W社は長いんですか?」「入ったばっかりですよ。現場は長いけど。」「前は何やってました?」「設備です。」「ああ、やっぱり。」 そもそも作業服も違うし、ヘルメットは新品だ。けど、何より立ち振舞いだろう。作業手順もわかってないし、土工の動きではないのだ。あんまり嬉しい話じゃないなあ。
 それに設備屋V社の職人たちには笑われるだろう。あんなの設備じゃねえよと言われるのが落ちだ。僕もそう思うよ。結局、僕は日雇派遣の雑工なのだろう。本人もそう思ってる。
 「その帽子、設備っぽいなと思って。」え、帽子か?この帽子、スーパーゼネコンの事務所撤去でもらった物だから監督のなんだけど。「今どこも仕事ないみたいだからね。ダンプまで仕事ないらしいよ。」まじか。
 先日つくばのシネコンで『ノマドランド』を見た。ノマドって言葉は、八十年代に十代だった僕にはフランス哲学経由のお洒落なものに響くが、現在のアメリカ合州国では車上生活をしながら職を転々としている労働者のことを指してノマドワーカーと言うらしい。ルトガー・ハウアー晩年の主演作『ホーボー・ウィズ・ショットガン』のホーボーの現代版ってことだ。
 限りなくドキュメンタリーに近い映画で、色々と解説が欲しいところだが、パンフはなかった。こういう映画にこそパンフが必要だと思うんだが。主演女優はおそらく六十代だが全裸どころか排泄場面すら撮っていて、その覚悟には頭が下がる。工場閉鎖で街が丸ごと消滅、主人公は車上生活を選ばざるを得なくなり、倉庫のピッキングや食堂の給仕、国立公園の案内係など、本当に多様な仕事をこなして生きていく姿が淡々と映し出される。そのまま重なりはしないものの、その姿は僕の知るアンダークラスにかなり近い。
 アマゾンで働く場面があり、カメラはアマゾンの倉庫にも入って行く。そこで描かれるのは取り立てて劣悪でも抑圧的でもない巨大な倉庫での労働で、この間流布されたイメージとは異なり、人間関係は良好にすら見える。
 アマゾンでの労働が肯定的に描かれていることに対する批判があるようだ。十年以上前の、日雇派遣に対する批判を思い出した。

 湯浅誠と関根秀一郎がそれぞれに著書の中で日雇派遣を批判していたことがある。格差と貧困の問題が問題として広く受け入れられ、「日雇派遣」と言う言葉が出来た頃の話だ(働き方としての日雇派遣はとっくに存在していたが、それを指し示す言葉が存在せず、働いている当人が自分の働き方を何と呼べばいいのかわからなかった、てのは前に書いた、と思う。書いてなかったっけ?)。二人とも数日働いた上で日雇派遣を責任の所在もわからない、非人間的な働き方として非難していたと思う。不愉快だった。一日二日働いただけでその仕事の何がわかるというのだ。日雇派遣を続ける理由があるのだし、日雇派遣には日雇派遣の喜びや苦しみがあるのであって、碌に肉体労働をしたこともないのに何偉そうに言ってやがる。特に湯浅誠に対しては、一時期共に渋谷で野宿者支援をしていて、僕や大勢の仲間たちが日雇派遣をしていたのを見ていたのに、今頃になって何を言っているんだ、となおさら腹が立った(念の為に言っておくと、湯浅誠はこの後の一時期、肉体労働で生計を立てている。)。正直に言うと、このブログを書き出した初発の動機の一つだ。

 アマゾンで働いている、働いていた者が言うのならともかく、そうでない者がこの件を批判することには違和感を覚える。劣悪な労働を肯定する気はない。だが、そこに身を置かなければ生きていけない者に対して、その労働は間違っているとか言われても、肝心の相手には届かない。・・・あれ、この言い方だと過労死を止められないのか?ううん、どこで間違った?

 

 

茨城反貧困メーデーinつくば 死ねと言われている気がするのdeもするメーデー

組合員加藤からの投稿です。

 

茨城反貧困メーデーinつくば 死ねと言われている気がするのdeもするメーデー

 2021年5月1日(土)14時~ 

つくばセンター広場ペデストリアンデッキに集合。1時間ほどつくば駅周辺をデモ。

参加費 無料

 

つくばセンター広場ペデストリアンデッキ茨城県つくば市吾妻1丁目10−1、つくばエクスプレスつくば駅A3出口すぐGoogle マップ

 

主催  茨城反貧困メーデー実行委員会    電話  090-8441-1457(加藤)
メ ー ル  ibarakiantipoverty@yahoo.co.jp
ブ ロ グ  http://ibarakiantipoverty.hatenablog.com/
ツイッター https://twitter.com/ibaraki_mayday

 

職場で、学校で、社会から、追い詰められて「お前はいらない」「死ね」と言われていると感じている人は、これまでも決して少数ではありませんでした。職場でいじめにあっていたり、厳しいノルマに追い立てられて長時間残業を強いられている人、借金で首が回らなくなっている零細企業の経営者、勇気を振り絞って生活保護の申請に行ったのに窓口で所持金が多過ぎるとか若いんだから仕事はあると追い返された人・・・私たちの社会はそうやって多くの人を排除しようとしてきました。

 コロナ禍の今、さらに多くの人たちが、死ねと言われていると感じています。営業時間短縮を強いられた飲食店店主、仕事がなくなり、あるいは極端に時間が少なくなって収入が減った労働者、感染症対策もろくに取られないまま働かざるを得ない非正規労働者、DVから逃げていたり、様々な事情から住民票を手にできない人たち。これらのリストは、あなたが周りを見渡せばいくらでも増えていくでしょう。

 バブル崩壊以降、この国は非正規労働者を増やし、大企業や金持ちを優遇して、生活が苦しいのは自己責任と言い続けてきました。今回のコロナ禍は感染症の世界的な流行が原因とは言え、相変わらず自己責任を基本とした穴だらけの政策を行っている政府による人災の面もあるでしょう。そもそも、新自由主義的な政策で医療や社会保障を切り詰めた結果として今の社会があるのではないでしょうか?

 当たり前のことですが、誰だって生きていていい。「死ね」と言われることなどあってはならないはずです。政府の政策が死ねと言っていると思えるのなら、「ふざけるな!お前が間違ってる!」と言い返していい。それは相手が職場の上司だろうが同級生であろうが同じことです。

 五月一日のメーデーは、世界中の労働者がこの日に労働者の権利を掲げて「私たちの姿を見ろ、私たちの声を聞け」と行動をする日です。コロナ禍の中でデモのないメーデーが増えていますが、コロナ禍の中で「死ね」と言われているからこそ、むしろデモで私たちの声をあげましょう。