茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(497)泥濘で『ノマドランド』

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(497)泥濘で『ノマドランド』
加藤匡通
四月××日(木)
 W社での土工は続いている。仕事の内容は設備配管よりこちらの方がまったく持って好みだが、交通費込み一万一千円は痛い。公共料金も遅れ出した。まあ、いつも展開に戻ったな。朝が早過ぎるのも辛い。夜はあまり動きたくなくなっている。
 根切りで泥に足を取られながら矢板入れをしている。基礎の穴掘りをする前に、現場の工事する一体を取り囲むように巨大なH鋼を、杭のように土中に打ち込む。重機による掘削はこのH鋼の内側だ。掘ったままでは土が崩れてくるので、H鋼とH鋼の間に厚めの板を入れて崩れないようにする。この時使う厚い板が矢板である。この板を一枚一枚横にして入れていく。土工の基本の仕事の一つだ。完成すると木で出来たシャッターみたいな感じになる。いや、シャッターじゃないな。巨大な木目板か。

 今日の現場は昨日の雨で足元がぐずぐずになっていて、下手なところに足を入れると長靴が全部埋まる。動き辛いことこの上ない。底なし沼ってのはこうなってるのか。『恐怖のワニ人間』を思い出すぜ。
 作業中、ユンボのオペさんが聞いてきた。「加藤さん、W社は長いんですか?」「入ったばっかりですよ。現場は長いけど。」「前は何やってました?」「設備です。」「ああ、やっぱり。」 そもそも作業服も違うし、ヘルメットは新品だ。けど、何より立ち振舞いだろう。作業手順もわかってないし、土工の動きではないのだ。あんまり嬉しい話じゃないなあ。
 それに設備屋V社の職人たちには笑われるだろう。あんなの設備じゃねえよと言われるのが落ちだ。僕もそう思うよ。結局、僕は日雇派遣の雑工なのだろう。本人もそう思ってる。
 「その帽子、設備っぽいなと思って。」え、帽子か?この帽子、スーパーゼネコンの事務所撤去でもらった物だから監督のなんだけど。「今どこも仕事ないみたいだからね。ダンプまで仕事ないらしいよ。」まじか。
 先日つくばのシネコンで『ノマドランド』を見た。ノマドって言葉は、八十年代に十代だった僕にはフランス哲学経由のお洒落なものに響くが、現在のアメリカ合州国では車上生活をしながら職を転々としている労働者のことを指してノマドワーカーと言うらしい。ルトガー・ハウアー晩年の主演作『ホーボー・ウィズ・ショットガン』のホーボーの現代版ってことだ。
 限りなくドキュメンタリーに近い映画で、色々と解説が欲しいところだが、パンフはなかった。こういう映画にこそパンフが必要だと思うんだが。主演女優はおそらく六十代だが全裸どころか排泄場面すら撮っていて、その覚悟には頭が下がる。工場閉鎖で街が丸ごと消滅、主人公は車上生活を選ばざるを得なくなり、倉庫のピッキングや食堂の給仕、国立公園の案内係など、本当に多様な仕事をこなして生きていく姿が淡々と映し出される。そのまま重なりはしないものの、その姿は僕の知るアンダークラスにかなり近い。
 アマゾンで働く場面があり、カメラはアマゾンの倉庫にも入って行く。そこで描かれるのは取り立てて劣悪でも抑圧的でもない巨大な倉庫での労働で、この間流布されたイメージとは異なり、人間関係は良好にすら見える。
 アマゾンでの労働が肯定的に描かれていることに対する批判があるようだ。十年以上前の、日雇派遣に対する批判を思い出した。

 湯浅誠と関根秀一郎がそれぞれに著書の中で日雇派遣を批判していたことがある。格差と貧困の問題が問題として広く受け入れられ、「日雇派遣」と言う言葉が出来た頃の話だ(働き方としての日雇派遣はとっくに存在していたが、それを指し示す言葉が存在せず、働いている当人が自分の働き方を何と呼べばいいのかわからなかった、てのは前に書いた、と思う。書いてなかったっけ?)。二人とも数日働いた上で日雇派遣を責任の所在もわからない、非人間的な働き方として非難していたと思う。不愉快だった。一日二日働いただけでその仕事の何がわかるというのだ。日雇派遣を続ける理由があるのだし、日雇派遣には日雇派遣の喜びや苦しみがあるのであって、碌に肉体労働をしたこともないのに何偉そうに言ってやがる。特に湯浅誠に対しては、一時期共に渋谷で野宿者支援をしていて、僕や大勢の仲間たちが日雇派遣をしていたのを見ていたのに、今頃になって何を言っているんだ、となおさら腹が立った(念の為に言っておくと、湯浅誠はこの後の一時期、肉体労働で生計を立てている。)。正直に言うと、このブログを書き出した初発の動機の一つだ。

 アマゾンで働いている、働いていた者が言うのならともかく、そうでない者がこの件を批判することには違和感を覚える。劣悪な労働を肯定する気はない。だが、そこに身を置かなければ生きていけない者に対して、その労働は間違っているとか言われても、肝心の相手には届かない。・・・あれ、この言い方だと過労死を止められないのか?ううん、どこで間違った?