茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』読書会やります。

日時: 第1回 2011年12月20日(火)19-22時 
    第2回 2012年1月10日(火)19-22時 
場所:  つくば市市民活動センター会議室(つくばエクスプレスつくば駅
     茨城県つくば市吾妻1-10-1、つくばセンタービル1階)
     http://www1.accsnet.ne.jp/~com-cen/html/access.htm
参加費: 無料(カンパ歓迎)

主催:生存のための科学・茨城、茨城反貧困メーデー実行委員会
連絡先: 090-3902-5801, RXM05777@nifty.com(藤田)

2012年メーデーに向けて動き出します。今回のメーデーでは私たちを取り巻く課題・問題についての学習会を積み上げながら、どのようなメーデーを作っていこうか議論をしていこうと思います。
第一弾として今話題の、ナオミ・クライン著/幾島幸子・村上由見子訳『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く 上・下』(岩波書店、2011年)を上巻と下巻、2回に分けて読む読書会を企画しました。「ショック・ドクトリン」とは、大惨事につけこんで行われる過激な市場原理主義的改革のこと。本書は、2001年の9.11同時多発テロ、2004年のスマトラ地震津波、2005年のハリケーンカトリーナなど、ここ数十年来の代表的な惨事の例をあげながら、その後にいずれも市場原理主義に基づく過激な新自由主義政策が導入されていった歴史を明らかにしています。今回の東日本大地震津波福島第一原発事故の後、この日本でも同じことが起こる/起こっていると言われます。TPP、生活保護など福祉制度の改悪、労働運動への弾圧など、今起こりつつあることを広い視点から理解することができると思います。ご関心のある方は是非ご参加ください。

・ テキストは各自でご用意ください。ただし、自腹で買う余裕のない生活困窮者は
  無理して買わなくて結構です。図書館でも借りられない場合ご連絡ください。
・ 読まずに参加されても構いません。
・ 本の内容のまとめを用意します。それを踏まえて討論したいと思います。


賃金奴隷な日々 日雇い派遣日記(看板に偽りあり)(135)馬鹿馬鹿しい罠
十二月×日(月)
加藤匡通
  組合事務所の入っている自由と生存の家・茨城は国道六号から十分ほど歩いたところにある、と思う。なんで「と思う」なんて書くかと言うと、僕は車で移動しているので歩いたことはないからだ。六号にはバス停がありそこから組合事務所に来ることも出来た。日に数本だがどうにか使えていたのだが、先日バスを使っていた人に聞いたらバスは一日一本になってしまったとのこと。それはまたずいぶんと客層を絞ったな。
  似たような話はよく聞く。前の仕事では県内を動いていたので茨城在住の様々な地域の人の話を聞いていた。稲敷に引っ越して来た二十年前は最寄駅の土浦まで一時間で何本かは出ていたバスが出ていたので安心していた。二十年前の段階で食材や身のまわりの物はどうにか近隣の商店で買えたが、しかしどのみち車でなければ行けない距離で結局土浦までバスで出ていたという。最寄駅と言ったって直線距離で十キロはある。茨城はそんなところばかりだよ。この数年、バスが激減して日に数本になり、近隣の商店も閉店、食材を買いに行くのすら半日がかりになってしまった。あるいはバスの路線そのものが廃線になってしまい、近所の人に頼んで車に乗せてもらってるなんて話も聞いた。近所の人に乗せてもらえるなら失われつつある地域の絆を結び直すことにもなるからいいだろう、なんてのは牧歌的な考えで、頼む方も頼まれる方もお互いの手間だの都合だのを配慮し合いながらの神経をすり減らす行為である。かと言ってある程度の年齢になればあらためて運転免許をとるのも大変だ。なにより自動車を所有するには金がかかる。
自動車が売れなくなった、若者の自動車離れが深刻だ、なんてよく聞くが、そもそも自動車に関心がなく、免許も就職してからいやいや取らされた口なので(会社持ちで合宿免許に放り込まれた。あの時免許を取っていなければその後の人生はかなり違っていたはずだとは今でも思う)、この手の言い草はまったく理解出来ない。あ、もちろんここは自分のことを若者だと思ってるって意味じゃないから。そうした僕の個人的な趣向(ここではとりあえずそういうことにしておく)は別としても、今時車を所有出来るのは金持ちか必要に迫られているかのどちらかだ。どの年代でもその傾向はあるだろうが、特に若者はその傾向が強いだろう。非正規で収入も安定せず、数年先の雇用があるかどうかもわからないのにローン組んで車なんか買うかよ!
けれども地方在住となるとそうは言っていられなくなる。鉄道は端から少なくバスも次々に廃線と公共交通ががたがたなのに仕事も人との交流も買い物も十キロ単位の移動が日常の地方で車がないのは、社会生活の不可能すら意味しかねない。だから収入との釣り合いが取れなくとも車を持たざる得ない。馬鹿馬鹿しい限りだが、もちろん僕もその馬鹿馬鹿しい罠にはまった一人だ。車がなきゃ暮らしは大分楽になる(はずだ)。地方在住者がみんながみんな車が好きだなんて思わないように。資本主義のマインドコントロールからは逃れていても、罠からは逃れられない者は多分多い。