茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

茨城反貧困メーデー 2015 inつくば  働くのがイヤになった人のための階級闘争

★プレ学習会 4/17(fri)19h−21h 
  報告/ ピケティ『21世紀の資本』を批判的に読む
  つくば市市民活動センター (つくば市吾妻1-10- 1TX線つくば駅前 センタービル1F)
  参加無料                


★集会+デモ 5/2(sat)
  集会 13h−15h30 
    つくばカピオ 中会議室 (つくば市竹園1-10-1)
    参加費 500円(困窮者フリー)
    1 3つの報告あるいはアジ
     a 21世紀の資本 〜ピケティを超えて階級闘争へ〜
      b 8時間労働なんて100年前の話よ
     c 労働は犯罪である 働くのが始めからイヤな人のために
    2 全体討論

デモ 16h− つくばカピオ前出発→TX線つくば駅前にて

※集会のみ/デモのみの参加も歓迎します

主催 茨城反貧困メーデー実行委員会
blog:http://ibarakiantipoverty.hatenablog.com
twitterhttps://twitter.com/ibaraki_mayday
問合せ tel : 090-8441-1457(加藤)/080-5459-9576(鈴木)/090-3902-5801(藤田)
mail : ibarakiantipoverty@yahoo.co.jp



 階級闘争は死んでいない、とピケティは言った。うそみたいだがほんとの話である。二度の世界戦争で消尽された富裕層の富が半世紀をかけ回復されて、社会階級の構造が19世紀の方へと戻ってしまった結果、根本的に相容れない者たちの ― 一方は奪い取っての独占と支配を、もう一方は奪い取られ追いつめられての生存をかけた ― 戦争、つまり階級闘争が復活し、社会に亀裂を走らせる危険がある、と彼は言うのだ。危険とはだれにとっての危険なのか? われわれは、眉に唾つけてピケティ『21世紀の資本』を批判的に読むよう用心し、さらにはピケティを超えて階級闘争へと向かうべきではないのか?
 階級闘争は新しく蘇った。この語をとうに棄て去った「先進諸国」の左派政党とその労働組合の場所に ―ピケティはそこにいる― ではなく、もっとずっと下の方、プロレタリア階級からもあなどられた世界中のルンペン/プレカリアート/アンダークラス(お好みでどうぞ)のアンダーグラウンドに。
「働かざる者食うべからず」は本来、搾取し抑圧する者どもへと叩きつけられた怒りの表現だったはずだ。それがなぜか労働倫理に化け、こっちにはね返ってわれわれを呪縛し、労組は相変わらず労働を通じての人間解放を歌い上げる、この倒錯。(「労働は自由をもたらす」もあったっけ、アウシュビッツの入口に。)はっきり言おう、がんばって働いてせっせと搾取され、もって資本蓄積に奉仕して自分の首を絞めるのに喜びと生きがいをおぼえるような労働は犯罪である。
 現状は空前の規模での階級下降が起きている。2千万人近い非正規労働者、1,100万人を超えた年収200万円以下のワーキングプアには「労働の喜び」なんて当然ないし、そこから抜け出せる可能性も少ない。いますべきは、われわれの骨の髄までしみついた近代的な労働至上主義を問いにかけ、内側から変わっていくことだ。われわれが望むのは、正規雇用に憧れてプロレタリアートプチブルでも結構)へと階級上昇!することではなく、闘争するルンプロになることだ。
 仕事をサボることは言うまでもなく古典的階級闘争だった。われわれは認識をさらに進めよう。そもそも働かないことは積極的な階級闘争である。働かないと社会が成り立たないって? そりゃそうだろうが、どっかだまされてないか? 19世紀からどれだけ生産力が上がったかを思えば、8時間労働なんて100年前の話ではないのか。生活保護受給は確固たる階級闘争である。奨学金の返済逃れはまぎれもなく階級闘争だ。逃走せよ、企業から金融から財団から国家から、金をむしり取って闘走せよ!
 資本と共犯的な労働の現場はもちろん、その外の自分自身の小さな生活、その憂鬱な各所にも、不自由を自由へと反転させていく階級闘争の芽は眠っているはずだ。芽を見つけ出し、伸ばし、茂らせてゆく方途をさぐろう。不穏で不敵な自由の喜びを四方八方とび散らせ、この社会の地盤をひび入らせてやりたい。そう、だからわれわれ茨城反貧困メーデーは、働くのがイヤになった人のための階級闘争を宣言する。
  搾取され抑圧された仲間たち、さあ、われわれと共に戦おう!!