賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(常雇?)(431)『キングコング対ゴジラ』『風たちの午後』二本立て
加藤匡通
三月×日(日)
一万五千円の皆勤手当をもらうため、平日休んだ分の穴埋めで日曜も出ている。今日は新築マンションの検査前の養生撤去、一日室内の床養生を剥がしてまわった。ブルーシートの上にプラ段を敷いた養生である。こういうきちんとした養生撤去は久しぶりだ。最近はせいぜいスタイロ吹き付け対応で配管周りにした養生を吹き付け後に撤去するくらいしかやってない。もっとも、きちんとしたと言っても、うりゃあと勢いで剥ぎ取っているのに違いはない。ただしこっちは周りが完全に仕上がっているのであんまり思いっきりやるとプラ段で仕上げ物を傷つけたりするので気をつけること。
仕事が終わってから、明日は休みなので映画を見ることにした。確認したら神保町シアターで六時十五分からの『キングコング対ゴジラ』を見て、さらに新宿のK,s cinemaで九時からの『風たちの午後』を見れる。残業がなくても、現場は神保町と少し離れているので時間ぎりぎりまで引っ張られると間に合うか怪しく三時以降は仕事が早く終わることを念じ続けたが(いや、これは嘘だ。早く終われと念じているのはいつでもである。)、どうにか間に合った。
『キングコング対ゴジラ』を劇場で見るのはこれで何度目だろうか。最初に見たのは小五だった七十九年日劇の「ゴジラ映画大全集」の初日八月二日、この映画を筆頭に『怪獣大戦争』『ゴジラ対メカゴジラ』『ゴジラ』を見ている。この時の版は短縮版で以来最低三回はこの版を見ている。今回見たのは十六ミリの全長版からデジタル修復された完全版だがこちらも二回目だ。今となっては突っ込み所満載の映画だが、それが傷にはならない楽しい映画である。あと何回劇場で見れるだろう。
『風たちの午後』は二十年以上前の中野武蔵野ホール以来二回目、今回はこちらもデジタルリマスター版だ。十六ミリの自主映画がデジタルリマスターとはとんでもない事態で、この映画がいかに愛されているのかがわかろうというものだ。以前見た時はいたく感動し、ラストに打ちのめされた。しかし今回、感動は薄れている。矢崎仁志は『無伴奏』でも同性愛を扱っているが、どちらも成就しないものとして描いている。物語として悲劇は確かに美しいが、二本とも悲劇ってどうよ?よろしくないメッセージを発してることにならないのか?・・・同じ映画がいつまでも同じ感動を与えてくれるとは限らない、むしろその方が少ない。見る側も変わる。悪いことではないはずだが、やっぱりやや残念だ。
つくばエクスプレスは終電で、がらがらだった。日曜だけのことはある。
『キンゴジ』は火曜の夜見に行くつもりだったが今日見たので火曜の夜が空いた。組合大会のための作業をしよう。これから秋まで多分こうした様々な作業が続くのだ。えーと、デートとかなくて一人で本読んで映画見て、ビラ作ったりデモやったり、これってリア充?
加藤匡通
三月×日(日)
一万五千円の皆勤手当をもらうため、平日休んだ分の穴埋めで日曜も出ている。今日は新築マンションの検査前の養生撤去、一日室内の床養生を剥がしてまわった。ブルーシートの上にプラ段を敷いた養生である。こういうきちんとした養生撤去は久しぶりだ。最近はせいぜいスタイロ吹き付け対応で配管周りにした養生を吹き付け後に撤去するくらいしかやってない。もっとも、きちんとしたと言っても、うりゃあと勢いで剥ぎ取っているのに違いはない。ただしこっちは周りが完全に仕上がっているのであんまり思いっきりやるとプラ段で仕上げ物を傷つけたりするので気をつけること。
仕事が終わってから、明日は休みなので映画を見ることにした。確認したら神保町シアターで六時十五分からの『キングコング対ゴジラ』を見て、さらに新宿のK,s cinemaで九時からの『風たちの午後』を見れる。残業がなくても、現場は神保町と少し離れているので時間ぎりぎりまで引っ張られると間に合うか怪しく三時以降は仕事が早く終わることを念じ続けたが(いや、これは嘘だ。早く終われと念じているのはいつでもである。)、どうにか間に合った。
『キングコング対ゴジラ』を劇場で見るのはこれで何度目だろうか。最初に見たのは小五だった七十九年日劇の「ゴジラ映画大全集」の初日八月二日、この映画を筆頭に『怪獣大戦争』『ゴジラ対メカゴジラ』『ゴジラ』を見ている。この時の版は短縮版で以来最低三回はこの版を見ている。今回見たのは十六ミリの全長版からデジタル修復された完全版だがこちらも二回目だ。今となっては突っ込み所満載の映画だが、それが傷にはならない楽しい映画である。あと何回劇場で見れるだろう。
『風たちの午後』は二十年以上前の中野武蔵野ホール以来二回目、今回はこちらもデジタルリマスター版だ。十六ミリの自主映画がデジタルリマスターとはとんでもない事態で、この映画がいかに愛されているのかがわかろうというものだ。以前見た時はいたく感動し、ラストに打ちのめされた。しかし今回、感動は薄れている。矢崎仁志は『無伴奏』でも同性愛を扱っているが、どちらも成就しないものとして描いている。物語として悲劇は確かに美しいが、二本とも悲劇ってどうよ?よろしくないメッセージを発してることにならないのか?・・・同じ映画がいつまでも同じ感動を与えてくれるとは限らない、むしろその方が少ない。見る側も変わる。悪いことではないはずだが、やっぱりやや残念だ。
つくばエクスプレスは終電で、がらがらだった。日曜だけのことはある。
『キンゴジ』は火曜の夜見に行くつもりだったが今日見たので火曜の夜が空いた。組合大会のための作業をしよう。これから秋まで多分こうした様々な作業が続くのだ。えーと、デートとかなくて一人で本読んで映画見て、ビラ作ったりデモやったり、これってリア充?