茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(571)下請けの何でも屋

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(571)下請けの何でも屋
加藤匡通
五月×日(水)
 今通っている現場は解体屋が解体した部材を運ぶ作業が中心である。他にも養生だの揚重だのがあるが、本来この現場ですべき作業は撤去材の運搬だ。しかし、僕たちは別に解体屋の下請けではない。別の会社、別の職種であって、解体屋の指揮命令下にはいない。
 現場の詰所は一つしかなく、全ての職種が使っている。もっとも、車で来ている業者は車で休憩しているので作業員全員が詰所に入ることはない。と言うか、全員が入れる広さはない。作業員は少なくて五十名(年末年末みたいな時は劇的に減るがそれは数えないとして)、多くて二百名と言ったところだ。
 解体屋は車ではなく詰所で休んでいて、会話はよく聞こえる。この前は職長が「ああ、それは×××にやらせるから。」と言っているのが聞こえた。×××は僕たちの会社名である。「やってもらう」でも「頼む」でもなかった。解体屋の職長の中では×××は下請けの何でも屋なのだろう。ま、珍しいことじゃない。
 下請けの何でも屋だった時間は長い。今でも僕の意識はほぼそうだ。日雇派遣だった時間はそのまま下請けの何でも屋=雑工だった時間である。相対的には養生・クリーニングの比率が上がっていったとは言え、基本的には日替わりで様々な職種の手元に入る。専門職にはなれないし、ならない。それはそれで居心地は悪くなかった。むしろ何も出来ないのに配管工を名乗ったりしている方がはるかに居心地は悪い。本工がそんなに偉いのかと思っていた、いる、とは何度もここで書いている。
 最近、スキマバイトとかスポットワークと言う言葉を目にする。日雇派遣を言い換えたものらしい。カタカナにして英語っぽくしても中身は変わらないだろうに。隙間で金を稼がなければならないほどに追い詰められている人間が増えているようにしか思えない。僕もその一人だ。やってらんないから映画見に行くか!