茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(484)お荷物

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(484)お荷物
加藤匡通
十二月××日(土)
    で、埼玉の現場である。朝、配管に蓋を取り付ける作業を始めた。まだ舗装していない土の上に塩ビ菅が三十センチ程度顔を出している。これに蓋を取り付けて舗装面の高さにする作業を、まさに今始めようとしていたところで職長の電話が鳴った。電話を切ると職長は「加藤さん、○○さん来てるから入口行って。荷物あるみたい。」 職長は、と言うかV社の三人中二人は中国人なので実際はこんなにスムースに会話してないし、そもそも職長が電話をどこまで聞き取れているかも怪しい。
    ○○さんはV社が応援に行っているZ社の社長だ。埼玉のこの現場はそもそもはZ社の現場である。Z社の社長なんて僕は顔も知らない。入口に行くとそれらしき車が一台。声をかけると「乗って乗って。」と車に連れ込まれる。「目の前の現場に行って欲しいんだよ。」はい?確かに道路の向かい側は現場だけど、荷物は?
 車の中であっちこっちに飛ぶ説明を聞いて、人手が足りないと連絡があり、急遽引っこ抜かれたらしいと理解した。で、スコップ一本渡され向かいの現場に置き去りにされる。ユンボで穴を掘っての配管埋設を二人でやっていて、これでは拉致が明かないと、もとい埒が明かないともう一人、となったようだ。手元で一向に構わないけど、一応応援なんだけどなあ。居心地の悪い中、ごく簡単な「あれやってこれやって」をこなす。聞けば、ここで作業している二人も昨日から来ている応援らしい。
 こっちの作業は三時過ぎに終わった。道路の向かいといっても回り込むから行き来するのに五分はかかる。戻ると中国人二人はまだ休憩している。一現場終わったんだから帰れる・・・はずもなく合流して作業をし、四時半に現場を出た。全く釈然としない。
 荷物の受け取りと思ってたら自分が荷物そのものだった、と。まあ何にも出来ないお荷物だって自覚はありますけどね、ええ。
 帰りに東中野まで出て『戦車闘争』を見た。五時までやってたら間に合わなかったよ。米軍の戦車を相模原で修理して横浜からベトナムへ送っていたが、一時的にそれを止めることに成功した運動をインタビューでまとめたドキュメンタリーである。憲法九条の問題点にまで話が及ぶいい映画だった。止めた側だけでなく、対峙していた機動隊や戦車を輸送していた業者の話まで聞いているのもいい。年長の友人が高校生の頃にこの闘争のテントに出入りしていたと聞いたが、今まで資料を見たことがなかったので見たかったのだ。埼玉から回り込んだ甲斐もあったというものだ。