茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(615)ありがとうシネプレックスつくば

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(615)ありがとうシネプレックスつくば
加藤匡通
六月×日(火)
 三ヶ月通った現場が終わった。そろそろ僕の仕事は終わりとは聞いていたが、ある日、十時の休憩直前に担当の監督から「これまでありがとうございました。」とあいさつされ、まだ二、三日あると思っていたのできょとんとしていたら「加藤さん今日までですよ。あれ、会社から聞いてませんか?」と言われた。仕上がったところばかりであとはクリーニングが中心だから雑工の出番はない。所長が予定を前倒しして雑工を切れと指示したそうだ。まあ、そんなもんだよ。
 この何年か都内に出る機会が減っている。現場が割と近場のことが多かったのだ。おかげで朝はもの凄くラクだった。十一時過ぎに布団に入っても毎日六時間眠れるのだ。夢のようだぜ!・・・はかない夢だこと。
 だがその一方、都内で仕事をしていれば帰りに学習会に寄ったり出来るが、近くで仕事をしていれば足は遠退く。映画だって同じで、現場が近場となると近場、あるいは地元の映画館で見る方がどうしたって増える。都内まで出ると上映時間に間に合わなかったりするし、何より交通費が痛い。交通費だけで正規料金の映画一本分なのだ。なかなか都内まで映画を見に行く気にはならない。
 なので県南のシネコンで見る機会が増えていた。県南にはシネプレックスつくば、ムービックスつくば、USシネマつくば、土浦シネマサンシャインとシネコンが五つあり、さらに土浦セントラルシネマと言う昔からの映画館がある。正直、ちょっと多い。僕の家から車で一時間圏内だとこれに守谷にあるイオンシネマ守谷と下妻にあるイオンシネマ下妻が加わる。守谷と下妻は県南ではなく県西だが、自宅から一番近いのはイオンシネマ守谷だ。 
 これらの映画館の中で最もよく通っていたのがシネプレックスつくばである。何せ僕が茨城に来た二〇〇五年には県南、県西で映画館はここと土浦セントラルシネマと前に休館したシネマサンシャイン岩井、それに一度も行くことなく終わった石岡パレットシネマしかなかったのだ。この中で一番近いのはシネプレックスつくばだった。土浦と石岡は明らかに遠く、日常的な移動をする地域ではなかった。岩井も移動圏内ではない。
 ちなみに八十年代セゾン文化の華シネセゾンのつくば展開である、筑波西武に入っていたキネカ筑波は僕が来る前に閉館している。跡の空間はイベントスペースになった。映画の上映もたまにあって、そこで見た映画なんだったっけなあ?
 最初に見たのは『シン・シティ』だろうか?『ぴあ』で茨城の映画館を探すと、他の県は駅で探せるのに茨城は最寄り駅で探せないのだ!ポイントカードを作ると六本見たら一本無料になる、今ではよくみるサービスだが、僕はシネプレックスつくばで初めて知った。今はイオンシネマ守谷となっているワーナーマイカルシネマズ守谷が〇七年六月にオープンするまでは、県内で見た映画はほぼシネプレックスつくばだけだ。だから六本なんてあっと言う間で二、三ヶ月で一本無料になった。
 周囲にシネコンがいくつも出来ると次第にそれぞれの個性が出てきたが、シネプレックスつくばはミニシアター系の映画が多かったと思う。岩波ホールで上映中なのに上映した『おじいさんと草原の小学校』や『バハールの涙』『福田村事件』はここで見た。
 もちろんミニシアター系に限らない。『ヱヴァンゲリヲン』は二本目から、『ダークナイト』も『クローバーフィールド』も『新訳Ζガンダム』も『アイアンマン』もここで見た。『インファナル・アフェア』三部作のリバイバル一挙上映もここで半日過ごした。「午前10時の映画祭」もここで見てる。だから二回目か三回目の『七人の侍』も何度目だかわからなくなっている『座頭市物語』も、『2001年宇宙の旅』も二度目の『ベン・ハー』も、『フレンチ・コネクション』も『ジャッカルの日』も『灰とダイヤモンド』も、それどころか何度目だかよくわからない『空の大怪獣 ラドン』や『海底軍艦』『妖星ゴラス』『アルゴ探検隊の大冒険』もここで見てる。黄金期東宝特撮を地元で見られるとは思わなかったよ。
 都内にいたころは、基本的には二十三区と三鷹までが映画を見に動く範囲だった。三軒茶屋東映に通っていたのは小学校高学年から高校まで、それも年に多くて数回だ。池袋の文芸坐や大井町武蔵野館、中野武蔵野ホールはよく行っていたが、それだって特集に通ったりしない限り年に数回だ。特集があったって日参でもしない限り十回を多少越す程度だろう。あるいは渋谷のバンテオンや東急レックスは地理的に近い上に東京ファンタに通っていたからよく行っていた。それでも渋谷パンテオンで見た映画は百二、三十本くらいだろう。
 映画館で一番思い入れがあるのは桜丘町にあった頃のユーロスペースで、高校生から三十過ぎまで、ホラーからピンク、ドキュメンタリーといろいろ見せてもらったが、それだって特集がない限りは年に十回も行ってない。だいたい、いくら気に入った映画館だろうと目的は映画なのでその映画館に行くこと自体にはならない。見たい映画を上映している場所に行くのだから、行く先は都内に散らばる。年に百本見ても、特集に通ってでもない限りは同じ映画館に十回も行かない。
 映画館の寿命は思っていたより短いと、この文章を書いていて気付いた。バブル期に青山にあったキノ青山は極端に短い例だが、武蔵野推理劇場の閉館から立ち合った自由ヶ丘武蔵野館は二十年も経たずに閉館した。新宿のシネマスクエアとうきゅうだって三十年程度だ。一時期渋谷に乱立したミニシアターは十年もったか怪しい。かつてどの街にもあった映画館は映画が斜陽になるとことごとく消えた。映画館の平均寿命は四十年ないんだろうな。
 シネプレックスつくばで見た映画はこの二十年強で二百本程度だろうか。最早数えようがないので、大雑把にしか言えないが、そんなに通った映画館は他にない。そのシネプレックスつくばが五月末で閉館した。告知は三月から出ていた。借地の契約終了だと言う。従業員たちも告知直前に聴かされたらしい。
 五月には何度か足を運んだ。見たい映画が何本かかかっていたのだ。『オールド・オーク』『ロスト・ランド』『霧のごとく』の三本は母と見た。
 最後の日に『シンプル・アクシデント(偶然)』を見た。その日最後の一本で、最終回は七時前に終わった。本当に最後の上映になるのはさらに三十分後に終わる『マンダロリアン&グローグー』だが、そこまではつきあえないし、『シンプル・アクシデント(偶然)』を見損ねたくなかった。ほんの少し先のこの国を見ているようで他人事に思えない。この一年、そんな映画が増えている。僕たちのいる国の状況は急速に悪化している。今年の初めにやはりシネプレックスで見た『クィーンダム』でも同じことを思った。
 地味な映画で、普段ならこうした映画は十人も入ればいい方だ。だがこの回は三十人入っていた。閉館を惜しんでいる人たちが最後に見に来たのだろう。
 三十年以上前、三軒茶屋映画劇場の最後の上映は『アウト・フォー・ジャスティス』と『私がウォシャウスキー』の二本立で、そんな映画ではないにも関わらず最終上映の『私がウォシャウスキー』が終わると拍手が起きた。『マンダロリアン&グローグー』の最終上映でも拍手は起きたろうか。
 上映していたスクリーン(この言い方には違和感が強いが何と言えばいい?)を出てパンフレットを買おうとしたら売店はもう閉まっていた。時間ぎりぎりで入ったので、年に一回見るかどうかの売店前の行列にパンフは後でいいやと思ったんだが失敗したな。シネプレックスの出口前には従業員が並んで一人一人に挨拶をしている。もちろんそんな光景を見たことはない。彼らの前を通ると「ありがとうございました」の声と共にお辞儀をされ、こちらも頭を下げながら涙が出そうになった。
 今までありがとう、シネプレックスつくば!