茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(329)昼休みは寝る時間

加藤匡通
十一月××日(土)
建築現場の人間にとって昼休みとは食事の時間であると同時に睡眠の時間である。スーパーゼネコンの監督や事務員は眠らないかもしれないが、基本的には作業員は眠っている。食事の時間は短いほど睡眠時間が伸びるのでみんな昼を食べに行って待たされるのは嫌いだ。もっともこれは肉体労働全般ではなく建築現場だけなのかもしれない。工場なんかだと昼休みに屋外で球技をしている光景を見かけるからだ。現場の近くに工場があって昼休みに労働者たちがバスケとかしているのをぼんやり眺めながら僕は、工場労働者は建築労働者とは体力が違うのかなと考えている。あんな体力僕にはない。
この前しばらく通っていた現場の近くにカレー屋があって、入ってみた。十人も入らない小さな店だ。横綱のサイン色紙が壁に貼ってあり、その日付を見ると十年近く前になっている。もう長いこと営業しているはずだが昼時なのに客をうまくさばけていない。揚げ物をしているのかいつまでも注文を取りに来ないで厨房にこもりきりだ。僕の前の二人連れは呆れて出てしまった。だいぶ待ってこっちから声をかけ、さらに待ってカレーが出て来たのは店に入ってからニ十分以上経ってから。僕より早く来ていた客の皿はまだ出ていない。あの客、よく我慢してたな。これで物凄く旨いのならともかく、値段こそやや安めだが味は並、もう二度と行かない。工場のすぐ近くだけど工場労働者は行かないのか?あんなに時間がかかっちゃ睡眠時間を削られなくても怒るだろうに。
今の派遣会社に入ったばかりの頃のこと。初めての現場が学校の改築で、派遣会社が一次で入り解体をしていた。僕はいきなりはつり用の圧縮空気を使うでかいブレーカーを持たされてびっくりしたんだが、それは置いといて。その現場には弁当屋が来てた。十名以上の現場であれぱ、たいてい弁当屋が入っている。現場の人間だってわざわざコンビニまで買いに出るよりラクだから歓迎する。ある日派遣の同僚が豪華な弁当を頼んだ。チラシではよくわからなかったが、どんな弁当が届くんだろうとみんな興味深々。弁当屋は大概九時から十時くらには弁当を届けに来るものだが、十時の休憩時に弁当屋はいつも通り弁当を持って来た。旅館で見るような固形燃料がセットされた鍋物だった。確かに建築現場で見る普通の弁当に比べればかなり豪華だ。みんながふたを開けて食べ始める中、その弁当を頼んだ同僚は燃料に火を着けひたすら待っていた。当然煮えるまでは食べられず、他のみんなが食べ終わってからようやく箸をつける。サラリーマン相手なら喜ばれるかもしれないが、建築現場では逆効果である。鍋物に固形燃料が付いているのを見た瞬間に件の同僚は吐き捨てたよ。「この弁当屋二度と頼まねえ。」
外構屋のY社にいた時、現場が東京大空襲・戦災資料センターのすぐ近くだったことがあった。公立の施設を目指して設立運動が行われたが結局公設とはならなかった施設で当然運営は厳しく、開館時間もそんな事情を反映して水曜から日曜の昼十二時がから四時までと言う短さである。せっかくすぐ近くと言うかほぼ目の前と言っていい位置にあるのに仕事が終わってからでは入れない。仕方ないから昼休みに昼寝をせずに見学に行った。展示は実に興味深く、資料もゆっくり見たい物ばかりだったがそんなに時間もない。帰り際に職員に、すぐ近くの現場で働いてる、余裕がなくてゆっくり見れず残念だと伝えると「じゃあ毎日来て下さい」と返されてしまい憤然とした。苦しい事情はわかるし直接戦争を経験していない世代に見てもらいたいと言う気持ちもわかるつもりだ。けど、肉体労働の休み時間に来てる人間にそれはないだろう?それでも、二度と行かねえとは思わなかった。お互いに存在が意識を規定していた不幸な出会いだった、けど乗り越えたいと思っている。