日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(社員?)(532)『地獄の門』
加藤匡通
八月××日(火)
七月終盤に新型感染症に罹った。ワクチンは一度も打っていないが、三十九度が三日続いた程度で済んだ。自宅療養の十日間で茨城でも医療は崩壊していると実感した。毎日のように感染者数を更新してりゃ崩壊するだろ。保健所は日曜の夜十時でも仕事をしていた。県内の保健所が統合されたのは何年前だったっけな。
自宅療養機関中に携帯でこのブログを更新しようとしたら、携帯からはログイン出来なくなっていて、七月も更新し損ねた。通信障害の話や監督が失踪した話は書かずに終わることになる。
U社の仕事は続いているが、八月に入り自宅療養が終わって現場に戻ったら、材料が入らないとか仕事量が減ったとかで毎日早上がりになっていた。僕なんか真っ先に切られてもおかしくないはずだが、幸い首はまだつながっている。
この現場の盆休みは五日間だったが、やっぱり仕事が少なくてU社は一日前倒しして休みに入り六日間休んだ。で、さらに休みが明けた週の土曜が仕事が少なくてまた休みである。いやあ夢のようだぜ!
早上がりならもちろん映画を見に行く。何故か八十年代ホラー映画の再上映が続いているので『ヒッチャー』を見て『死霊のえじき』を見て『ZOMBIO 死霊のしたたり』を見て『ビヨンド』を見ている。何も出来なかった自宅療養の反動のような気もする。
だが、なんと言っても『地獄の門』だった。存在を知ってから四十年近く経ってようやく映画館で見れたが、楽しいのなんの!地獄の門が開くと口から内臓が噴き出て頭蓋ごと脳みそを握り潰せるのだ!『哭悲』や『セルビアン・フィルム』は、人間に対する信頼を徹底して破壊されて嫌になる、二度見ようとは思わない映画だが、こっちは何度でも見れる。ルチオ・フルチは『ダーティー・ハリー』に比べれば自分の撮る映画は罪のないファンタジーだと語っていたそうだが、その通りだな。残酷なファンタジーで何が悪い。
さて、今月は何日働けるんだか。家賃や公共料金はどうにか払えてはいる。