茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(社員?)(543)『透明人間と蝿男』

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(社員?)(543)『透明人間と蝿男』
加藤匡通
一月××日(金)
    二月に入るとすぐ受電だとのことで五階が忙しくなった。
 仮設の電源を本設の電源に切り換えることを受電と言う。電圧は相当上がるので危険だし、何より電気を直接電線から取るので現場内でのトラブルが現場に止まらず大きなトラブルになる可能性があるので、受電以降はよく気をつけるようにと言われている。五階には建物全体の電源を操作する部屋があり、受電するとその周辺での作業が出来なくなるので作業を受電までに終わらせないといけないのだ。
    忙しくなった原因の一つは先週の作業にある。先週一週間、この現場で作業しているU社のほぼ全員がそれまでの作業を止めて免震階に廻された。検査があるのでそれまでに形にしないといけないが、配管が二割、配管を固定する架台に至っては半分以上残っている。当然連日一時間から三時間の残業になった。突然検査が決まったはずもないのでU社の管理ミスじゃないかとみんな言ってる。
    最近の大きな建物には大抵免震階がある。地震の揺れによる建物への被害を減らすために揺れの力を逃がす装置がある階で、地下や二階にある。装置と言ってもゴムを巻かれた柱が何本かあるだけだ。多分あの柱は上下が繋がっていない。
    免震階は高さが必要ないので通常の階より天井が低い。この現場も二メートルほどしかなかった。一番高くて二メートルだから、そこに梁があって配管があってダクトがあって、なので腰を屈めたり四つん這いになったりしないと進めなかったりする。そんなところなので、資材や道具を移動するのも作業するのも大変なのだ。だいたい、腰を屈めたり膝をついたりしていたら力も入らない。管材を移動させるだけで一仕事だ。
    一週間作業が止まったのは衛生のU社だけで、他の業者は動いているのだから、元の作業場所に戻ってみれば当然にも前回とは様変わりしている。作業がやりづらくなっているのだ。新しく電気のラックや空調のダクトが通り、そこが丁度アンカーを打ち込む位置だったりなんてのが前にも増して増えている。元の作業場所に戻った朝、現場で職人と顔を見合わせたが、休憩で詰所に戻ってみればみんな同じことを話していた。そりゃそうだよな。
     いくつかの作業を今日中に終わらせないといけないと、朝職人から聞いた。いつもなら、そうは言っても終わらなければ仕方ない、で済んでいる。だが、今日は違った。
    最後の作業、消火栓ボックスの取り付けを始めたのは四時だった。消火栓ボックスとは消火ホースを収納している箱のことだ。二、三時間で終わる作業だと言う。職人一人を残す訳にもいかず、七時には終わるだろと思い、残業することにした。今夜は用事があるのだ。
 箱を設置して配管するだけと書けば簡単そうだかそれなりに手はかかる。金属管にねじを立ててねじ込む配管なので寸法取りはシビアになる。五ミリも違えば使えない。当然のように寸法取りで失敗してやり直し、使えるバンドソーは一階にしかなく五階から一階を階段で往復、と時間は過ぎて行く。前にも書いた通りこの建物の五階は通常なら八階か九階に当たる。息は切れるし疲かれも溜まる。どうにか終わったと思ったら、七時はとっくに過ぎていた。
 まずい!三十六分の電車に乗らないと『透明人間と蝿男』に間に合わない!職人に終わったのを再度確認し着替えて駅に向かう。慌てて現場を出ていく僕を職人がびっくりして見ている。七時過ぎまでかかるとは思わなかった。膝だの足首だのが痛むので走れないが駅へと急いだ。
    小学五年から見たかった一九五七年の大映作品だが、評価が低いのであまり上映されない映画である。この機会を逃すと次は何年先になるのかわからない。これまでは見送っていたが、そろそろ残り時間を考える年齢になっている。今日見ないと次はないかもしれないのだ。
    幸い間に合った。透明人間の使い方も蝿男の使い方も全く上手くない犯罪映画で、蝿男は今の僕たちが思い浮かべるハエ男とは全く違って、人間が小さくなってそのままの姿で空を飛ぶ。日本軍はなんでこんな薬品を開発したのだろうか?羽根があるのだと思うが、フィルムがだいぶ傷んでいて画面では確認出来ない。正直、あまり面白い映画ではない。でも堪能した。何よりも夜間に警官隊が提灯を持って出動する姿は衝撃的だったさ。
    上映していたのはラピュタ阿佐ヶ谷と言う映画館だ。以前なら間違いなく二本立てで、文芸坐大井町武蔵野館あたりで見れた映画だが、今では二本立てと言う興行形態そのものがほぼ消滅している。
 ラピュタ阿佐ヶ谷は、番組はおもしろいし今時フィルム映写を続けているいいところ、と言いたいのだが、経営者の才谷遼は従業員を過労自殺に追い込んだり、労働組合員であることを理由に従業員を解雇したりと、相当に問題ある人物である。雑誌編集者時代にはライターの死を読者に指摘されるまで誌面で公表しなかったし、身近でもホームページを作ったが支払われなかったなんて話を聞いている。系列館のユジク阿佐ヶ谷はそうした経営者の問題を隠すため閉館となり、新たにMorc阿佐ヶ谷が開かれている。偽装倒産って言葉を思い出すな。なのでラピュタやMorcで映画を見るといつももやもやした気分になる。
    映像や出版と言った仕事はやりがいを搾取することで成立している面が極めて強い。映画館や本屋のアルバイトの時給は驚くほど低く、生活を考えると働くことをためらうくらいだ。アップリンクの件もあるように、ラピュタ阿佐ヶ谷だけの問題ではない。こういう問題を考えると、映画愛なんて言葉がとてもよくないものに思えてくる。