日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(548)手元、雑工、建築現場作業員
加藤匡通
五月×日(火)
「加藤さん職人でしょ?」先日ある活動家からそう聞かれた。職人ではないと答えたものの、理解されたかどうか。
僕は現在制度的には一人親方だが、実態は日雇労働者である。一日いくらで働き、二週に一度給料をもらっている。一人親方だろうが日雇労働者だろうが職人とは矛盾しない。これが日雇派遣となると職人と呼べるのは一部だけになる。職人は熟練労働者と言ってもいいかもしれない。技能を持った専門職で、図面を渡されれば仕事が出来る者と言えばいいだろうか。仕事のやり方を巡って監督とは対立することも多い自立した存在である。
それに対して日雇派遣の多くは監督や職人の指示がなければ動けない存在である。誰でもいいから頭数をよこせ、と言われて送り込まれる非熟練労働者だ。
僕は手元、ないし雑工で、図面を渡され「これやっといて。」と言われても仕事は出来ない。手元は職人の補助、雑工は現場の何でも屋だが、本当に何でも出来る訳ではない。やらされるだけだ。本当に何でも出来る雑工もいはするが、少数である。
この前、現場でメーデーのデモ申請の電話をしていてうっかり職人に聞かれてしまった。今のところU社はもちろんV社でも運動の話はしていないから僕が何者なのかは誰も知らないと思う。
誰もいないところで警察署に電話をしていたらU社で働く職人が入って来た。まあシャフトの中なら入ってくるわな。「加藤さんメーデーやってるの!」そこからしばらくメーデーについて説明する破目になったが「それなら加藤さんの社長のとこにデモした方がよくない?」と言われた。いやいや特定個人の賃上げとか労働条件を問題にしてるんじゃなくて、とか説明を重ねたが、多分相手は納得していない。
その職人は仕事が出来る人で、かなりの額をもらっている。そういう人は仕事熱心で絶えず自身の技能の向上を目指している。会社との交渉は必要だと考えてはいるが、それは自身にそれ相応の腕があることが前提となる。そのための努力は惜しまない。ある意味自己責任論だし経営者の感覚にも近い。職人とはそうした存在である。
端から見たら分かんないんだから職人って名乗っちゃえばいいのに、と言う意見もあるが、僕は職人を自称することを拒み続けている。日雇派遣の時は養生・クリーニング屋が看板だったがこちらも自称したことはない。名乗らざる得ない時は手元や雑工、あるいは建築現場作業員と言うようにしている。職人は前に書いたように専門職であり、専門性とは権力である。僕は権力からなるべく離れたところにいたいのだ。多分ここを読んで笑ったり呆れたりする人は多いのだろう。
生活は安定させたい。けど職人と言う専門職にはなりたくない。ただの我儘、あるいは子どもなだけ?ま、そうとしか見えないだろうな。