茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(100)  頼まれたからまた早朝から降ってやった

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(100) 頼まれたからまた早朝から降ってやった
加藤匡通
五月××日(月)
 土曜は一週間で四回目の朝から雨予報にしてようやく現場中止となった。ユンボで掘削の予定、雨では泥だらけになるだけだから中止、と。
雨で仕事が流れれば建前上は一人親方、しかし実体は日雇いに近い日給月給な僕の収入は減る。とはいえ雨でも間違いなくやるとなっているのではなく当日の朝決まるというのは誰のやる気だって削ぐだろう。なので仕事が流れると喜んでしまう。雨の予報で休みを期待するのは自分で首を絞めることと似ている。僕の日当は一万二千円なので雨で休めばそのまま一万二千円の減収となる。
 今の日当はこれまでの肉体労働中では最高額だが、職人に対する日当としては低い方だと思う。あわててつけ加えるけど僕は職人ではないし、僕自身の現場での働きに対する金額としてはむしろ高過ぎるとさえ思っている。これまでが低くかったので僕の中では高給取りになった気分なんだが、年収で考えたら三百万あるかどうか、それも交通費も社会保険の類もすべて含めてだ。まったく高給取りではない。これまでが低く過ぎたからそう思えただけの話である。そりゃ年収八十万の会社経営末期や日当八千五百円年収二百四十万の日雇派遣に比べりゃ高いけどな。正直に言うとこの日記に今の日当を書くのにもためらいがあった。「まともな給料もらってるじゃないか、生活が苦しいのはお前が遊んでばかりいるからだ。もっと少なくてもきちんと自活してるやつはたくさんいるぞ。貧乏とか言うな」。ごもっとも。でも、例えば年齢でみた平均年収と比べたら百万は低い。二十代中盤のサラリーマン時代末期に年収は三百万に届いたが、その時会社の労組は「あの年齢でやっと三百万なんて恥ずかしいと思わないのか」と会社と賃上げ交渉をしていた。地方での生活に欠かせない車を維持することを考えると今の収入はぎりぎり、いや少し足りないな、やっぱり。サラリーマン時代に免許を取りたくないと抵抗していたことを考えると笑ってしまうよ。車がなけりゃ生活も運動も出来ない状態になるなんて考えもしなかったし、ましてやそれで首が回らなくなるとは。いやいや愚痴は置いといて。肉体労働が何故こんなに低く安く見られるのか分からない。それがなけりゃ「ビルも道路も出来ゃしねえ」じゃないのかよ。額に汗して働くことはかつてはたたえられたが、今じゃ他に何も出来ない馬鹿のすること扱いだ。誰がそう仕向けたのか知らないが、それでどうやって社会を維持していくんだよ。あんたらポリスの市民にでもなったつもりか。「いやしい仕事」は奴隷にってか。
そして今日月曜。朝から雨。明日は用事があって休みで少し浮かれていたので(いいじゃん、たまには。まあ浮かれるほどのことじゃないんだけどさ。)これは四連休かとさらに浮かれたが、昼でやむとのことで出勤。