茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(240)四万で年越し

加藤匡通
十二月××日(土)
  年内の賃労働は今日で最後、結局マンション耐震改修工事の現場にまた呼ばれ、昨日今日と入っている。休み前の片付けなのだが、最後の最後は共用部分にあった仮囲いを解体した後のクリーニングだった。クリーニング自体は簡単に掃除機かけてモップで拭いて、で終わりなのだが掃除機の電源確保で一苦労。仮囲い解体直後に電源を片付けられてしまい、ドラムをどこに這わせていたのかわからない状態で改めてドラムを引っ張ったらコードが届かず何度も引っ張り直しをする羽目になった。ちなみに作業は二名で行っているが相方は昨日から熱を出している。今朝で七度八分と言っていた。人手不足で休めなかったらしい。クリーニングの後に、タイル地の床に出来た段差にコンパネを加工したものをはめ込み段差を解消していく。コンパネは昨日二時間残業して電ノコで加工した。残業したのは僕一人、熱出してる者に残業させる訳にはいかない(なら今日もすぐ帰せって話だよなあ、すまん。)。このはめ込みが終われば今日の作業は終わりだ。以前から最終日は半ドンと聞いていた。だから今日早く終わらせるために昨日は残業したのだ。しかし結局作業終了は一時前。電源で手間取った分遅れたか。
  今日こそ新宿で『フォンターナ広場』をと思ったが間に合わなかったので『麦子さんと』を見た。そこから派遣会社の事務所へ出て今年最後の給料を取りに行った。四日分、残業代も含めて四万になった。公共料金を全部払ったらほとんど残らない。年明けは短期ながら日雇派遣とは違う仕事を入れているが、こちらは翌月でないと給料が入らない。いやもう何を間違えているんだか。金の心配をしてもどうにもならないので考えない考えない(少しは考えないとこうなるという見本がワタクシであります!)。
  ついでに言えば今日は僕の誕生日である。もう四十五だ。岸田森の没年も越えた。二十代の初め、大学出て会社員になって早い時期に読んだ久美沙織の『鏡の中のれもん』の終章は「三十年後。」と言う一文で始まる。物語進行時十五歳だった主人公は四十五歳の大女優になっている。初読時に四十五歳なんてはるかな未来としか思えなかった。いま、その四十五だ。学生時代ももちろん会社員になってからも自分が日雇労働者になるなんて思いもしなかった。かつての僕が今の僕を見たら一体何と言うだろうか。