茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(304)日雇派遣は「結婚」出来るのか?→出来ない。だからどうした。

加藤匡通
三月××日(火)
  案の定の結末だったが『デート』は最後まで楽しんだ。恋愛至上主義を振りまくテレビドラマの枠内なので二人が恋に落ちるのは仕方ないにしても、巧が働き出すんじゃないかとひやひやした。起業するとか言い出した時はどうしようかと思ったが、無事高等遊民のままで終わったようなので一安心。簡単にニートから脱却されて、「恋をすればニートから抜け出せる」とかって幻想を振りまかれては困るのだ。女性が家計を維持し男性が寄生する、と言う展開が僕の母の反感を買った訳だが、大学院出の世界ではありふれた事例だと、元院生の友人は言っている。それが現実的で合理的な選択肢なのだ、と。当人もそのパターンである。 ただ、寄生とはっきり言い切ってしまっては反発も大きかろう。
   話は変わって先日現場でのこと。日雇派遣の同僚が派遣先の養生・クリーニングのJ社の従業員の結婚式に出たと話していた。正確に言うと結婚式の二次会で、下請けからの参加は彼一人。そりゃそうだろう。それだけ派遣先と関係を築いているとは言えるのだろうが、結婚式の二次会に出席なんて職場の同僚とか正社員同士の世界、普通下請けの日雇派遣に声なんかかけない。この彼は普段から「○○さんは同棲している彼女のお父さんが亡くなってお葬式に行くからしばらく休みですよ。」とか他の現場のJ社本体の人間の動向にまでやたらと詳しい。本人は自然にそう振る舞っているだけなのかもしれないが、これはこれで処世術なのだろう。ここで言いたいのは派遣先との関係の作り方の話ではなく、「結婚」の方だ。
  彼に聞いてみた。「うちの会社、結婚してる人ってほとんどいないよね。」「○○さんは高校生の娘がいるって言うけど。」「他は?」「えーと、○○さんも二十歳過ぎの娘がいるかな。」「そのくらいか。」「そうっすね。」「君は?」「いるわけないじゃないすか。彼女もいないっすよ。」「そりゃ俺も一緒だよ。」僕の登録している派遣会社は常時二百人ほどが働いている。その内の何人を僕が直接知っているのかわからないが、事実婚も含めて現在「結婚」しているのは僕が知る範囲では四人だけだ。これは現在の稼動人員だけでなく、過去にいた人間も含めてののべ人数にしてもほとんど変わらないだろう(かつて働いていた人が日雇派遣から脱却していればまた違うだろうが。)。これが件のJ社となると「結婚」している者の数は桁が変わる。J社の従業員は労働者階級、僕たち派遣会社の作業員はアンダークラスと言うことだ。派遣会社の方は「結婚」どころか恋人もいない者が大多数と思われる。三十代から五十代、年収二百万前後、現場と自宅の間にはパチンコ屋か競馬場と呑み屋しかない生活で出会いなどあろうはずがないし、仮にあってもこの条件で「結婚」して新しく家族を作ろう、子どもを育てようなんて思える訳がない。(これはかつての寄せ場日雇労働者と極めて近いのだが、何かが決定的に違う。だから僕たちは暴動を起こせない。どうすればいい?)
 こう書くと、まるで「結婚」出来ない我が階級を哀れんでいるかのようだがそれは違う。「結婚」して家族を形成しなきゃいけないなんて決まりはない。ともすれば非正規労働者アンダークラスの問題に関心を寄せる人の中からも「結婚」出来ないのは不幸だ、と言う声を聞く。それは何かを思い切り履き違えていないか?「結婚」とか恋愛とかなくったて充分「健康で文化的」に生きていけるぜ?むしろ「結婚」や恋愛がないことが不幸だ、って言葉のほうがよっぽど僕たちを抑圧してるよ。