茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(332)怪獣映画にも振られる

加藤匡通
一月×日(土)
  僕が今いる派遣会社は建築全般への派遣と設備だけへの派遣の二部門があって、僕は建築部門に登録している。設備部門が出来たのはは僕が茨城に来てからだ。どちらも派遣だけでなく請負の工事もしている。前にも書いたが設備の方が単価が高く、労働者の待遇もいい。日当が最低千円高くさらに交通費は全額支給、これだけで建築部門と二千円違う。一日二千円違えば月ならかなりの額だ。その分専門性が高いのが建前で、前職は配管工(これはそのまま設備屋である。)だったり鍛治工だったりして、たいてい図面が読める。同じ日雇派遣の中でも階級分化している訳だ。
 で、その設備部門の仕事で年明けから都心に来ている。人数が多くて朝礼は二回に分けられ、僕たちは八時十五分から。電車には座りたいので朝が極端に遅くはならないものの、普段に比べればラクだ。作業は検査前の空調機械室クリーニング。機械の埃やゴミを落とし水拭き乾拭きをして更に床も水拭きをする。面白くもない作業である。
  職長は僕より年下である。これはもはや珍しくない。派遣会社の社員ではないだろうが、僕のような日雇派遣とはまた違うようだ。準社員みたいなところだろうか。その職長が設備部門の日雇派遣とこんな会話をしていた。「休日は二十五パーセント増しですよ。」「もらったことないなあ。」「それは最初の契約の時に言わないと。」日曜休日出勤は二十五パーセント増しの給料を払わなければならないと法で決まってはいる。だが、日雇労働者で二十五パーセント増しの賃金をもらっている者のことなぞ聞いたことはない。職長は同僚相手に契約で条件を決めることの大切さをしきりに説いている。その物言いに引っ掛かったので口をはさんだ。「契約がどうでも法律通りに払わないと駄目でしょ。」「いやいや、そういう契約を自分で結んじゃったらもう駄目ですよ。会社はそんなに優しくないから。自分の身は自分で守らないと。」もちろん法律を下回る契約なら法律が優先される。だが、労働者個人が一人で法律を守った割増分を払えと会社に言って聞く耳を持つ会社はまずない。「会社はそんなに優しくないから。」はその通りで、労働組合の意義はここにある。一人では聞く耳を持たなくても、大勢で言えば聞かざる得なくなるからだ。それに、日雇派遣の面接で休日の法定割増分や有給休暇を要求しても「ウチにはないから。」で終わりだろうし、それでも粘れば「来なくていい。」と言われるだけだ。設備の日雇派遣も僕より多少はいい待遇ではあっても所詮は日雇派遣、会社と採用時にきちんとした交渉など出来なかったのだろう。つまり職長は僕たちとは階級が違うのだ。彼の言葉は階級の上位にいる者が下位の者にむけた、階級差を考慮せずに語った処世術で下位の階級には実行不可能は説教でしかない。本人がいい気になって「次の時は契約きちんとした方がいいですよ。」なぞと言うのもまた腹が立つ。出来るんならやってるんだよ、黙ってろ労働者!
  そんな訳で午後はむすっとして働いていた。そうでなくても年明けからの勤労意欲は極めて低いってのに。
  やってらんない気になってきたので怪獣映画を見ることにした。先日シネマカリテで『グリーン・インフェルノ』を見た時に流れた予告編で映画の存在を初めて知りびっくりした『モンスターズ 新種襲撃』が初日なのだ。十四年の『GODZILLA』の監督エドワード・ギャレスの出世作『モンスターズ 地球外生命体』の続編である。『GODZILLA』同様前作もアンチクライマックスと言うか見たい場面を見せない映画で大変もどかしい思いをさせられたが、予告編で中東で米軍が怪獣だけでなく武装勢力と戦うと知り期待は高まった。・・・まあ、大したことない映画の続編が傑作ってのはほぼないよなあ。この内容なら怪獣要らないじゃん?何本もあるシリーズの一本やテレビシリーズの一話ならともかく、二本目でこれと言うのがわからない。せっかくの怪獣映画なのに怪獣が暴れないなんて。ついでに言うと『グリーン・インフェルノ』は今時珍しい目を背けたくなるような人体損壊の連続でうれしかったが、社会運動への悪意がひどくて嫌になった。イーライ・ロスもそっちか、残念だ。
  けど、振られても映画見続けるからな。僕は債務奴隷じゃないぞ。