加藤匡通
十二月×日(金)
先日の忘年会席上でのこと。
同志(いや、彼はアナーキストではないんだが)が曾祖父が刀鍛冶で藩に仕えていたことを最近知ったと嘆いていた。農民だと思っていたのに「支配者の側だったとは、恥ずかしい。」「ああ、それは恥ずかしいよね。」と僕。その場にいたもう一人、古くからの友人は首を傾げている。
昔から日本史に関心がなかった。小学生男子は戦国大名が大好きだったりするのだが、僕には全く関心がなかった。それは必ずしも僕がSFしか読まないひねた小学生だったからではなく、支配者の歴史として記述された歴史に興味がなかったのだ、と言語化出来たのはアナーキズムに目覚めて社会運動に関わりはじめてからだ。
中一の時、歴史の授業が終わってから教師が聞いてきた。「君の祖先は何だと思う?」授業は古代の豪族についてで、教師は豪族だか貴族、あるいは武士と答えが返ってくると思っていたはずだ。「奴隷だと思います。」と僕は答えた。単純に数でいって多いところの出身だろうと考えだだけ、のはずだけど、今となってはアナーキズムの萌芽と言うか支配者側に身を置きたくないという考えは自覚していたかどうかはともかく、その頃からあったんだなと言いたくなる。その時の教師は「そうか、僕もなんだよ。」と返してきたが、彼はどんな思いで答えたのだろうか。
そんな訳で彼の「恥ずかしい。」はよくわかる。けど、自分の先祖なんて両親の両親の両親と三代遡るだけで最低八人いるんだから階級も職業も実は選び放題だろう。系図なんてたいていいんちきだ。だから先祖は奴隷だと安心して断言しよう。今だって賃金奴隷だ。