茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(常雇?)(423)『メアリーの総て』

賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(常雇?)(423)『メアリーの総て』
加藤匡通
十二月××日(木)
 年内は二十九日まで出ることになった。五月末からずっと入っている現場がその日まであるのだ。年末、特に用事もなく、可能な限り出たかったので願ったりである。去年はたまたま入っていた現場が三十日まであって、喜んで出た。その日は大変珍しいことにそこの業者の忘年会にまで声をかけられたが、母か風邪で寝込んでいたので行かなかった。
  現場では最近は養生がメインになっている。天井に取り付けられた空調器機の中に埃が入らないようにする養生で、ごく簡単なものだ。ただ、養生した後から後から、その隣だのに器機が付いていくのでイタチごっこ、まるで終わらない。
 帰ってからつくばのUSシネマで『メアリーの総て』を見た。メアリー・ゴドウィンが既婚者の詩人バーシー・シェリーと駆け落ちして十八歳で『フランケンシュタイン』を書き、出版するまでの話である。当然バイロンの別荘での有名な怪奇談義は出てくる。
 この部分だけでケン・ラッセルは『ゴシック』を一本撮っていて、これは大学の時に封切り館の今は亡き、当時まだミニシアターの第一線だったシネマスクエアとうきゅうで見ている。同時期にもう一本、『幻の城』と言う映画が同じ舞台を描いているがこっちは見ていない。こちらの封切り館は俳優座シネマテンだったと思うが、俳優座そのものは当然まだあるものの映画上映はやめている。シネマテンで見た中で印象深いのはなんと言っても『アナザー・カントリー』だが、これ以上の脱線は止めておく。
 『メアリーの総て』が力を入れて描いているのはディオダディ荘での怪奇談義ではない。映画はメアリーと義妹を通して十八世紀初頭のイギリスでの女性の地位を、彼女たちがどう扱われ、それに対してどう立ち向かい傷ついたのかを描く。自由恋愛なんて男の欲望の言い訳でしかないのは、この何年かで思い知らされていたが、この映画でもまた見せつけられた。書き上げた作品も夫が書いたのではないかと疑われ、匿名で出版せざる得ない。映画はそうした女性の不当な扱いを昔話として描いていない。パンフレットを読んで初めて気づいたが、主なスタッフも女性で、監督は『少女は自転車に乗って』のハイファ・アル・マンスールだった。つまり監督はサウジアラビアの人だ。
 この映画にフランケンシュタインの怪物は腕しか出てこない。眼目はそこにはない訳だ。僕にとって八十年代は一大リバイバルブームの時代で、ユニバーサルの、ジェームス・ホエールのジャック・ピアースの、そしてもちろんボリス・カーロフの『フランケンシュタイン』と『フランケンシュタインの花嫁』は高校生で見ている。それ以来同時代のフランケンシュタイン物はかなり見ているし、ハマーの、テレンス・スタンプピーター・カッシングクリストファー・リーの『フランケンシュタインの逆襲』も劇場で見ている。『フランケンシュタイン対バラゴン』『サンダ対ガイラ』も当然見ている。原作は高校生の頃に創元推理文庫で読んだ。書簡体小説を読んだのは初めてだった。
  しかし今、関心はそこからややずれている。バイロンにしても名前を聞いて思い浮かぶのはディオダディ荘のエピソードとギリシャ独立戦争での死だ。そしてメアリー・シェリーと聞いて浮かぶのは『フランケンシュタイン』も去ることながら、彼女の父親のことである。メアリーの父、ウィリアム・ゴドウィンは近代最初のアナーキストと目される。メアリーだけでなく、ウィリアム・ゴドウィンがどう描かれるのかに強い関心があった。だから見に行く動機としては半年前に見た『マルクス・エンゲルス』に近い。かつてのSFファンから随分遠くに来ちまった気もするな。
  明日で五十歳になる。