茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(264)三軒茶屋シネマ閉館

加藤匡通
七月××日(金)
  都心で養生をした。極簡単な床養生、ブルーシート敷いてその上にプラ段貼って終わり。さして広いスペースでもなく、職人二人と僕の三人で十一時には終わった。しかもこの現場、朝は八時半からで集合が八時二十分。駅前に時間をつぶす店はなかったような気がしたのでトイレの時間だけ見て家を出たから起きたのは五時半でとても楽だった。
   こんなに早く終われば映画でも見ようと考えるのは当然だろう(あれ、違う?)。携帯電話で検索していて、三軒茶屋シネマが閉館だと思い出した。今は閉館プログラムのはずだ。調べると移動して手頃な時間に始まるようだ。二十日が最終日、今日を逃せば多分行く機会はない。
  僕は三十過ぎまで三軒茶屋にいたので、三軒茶屋シネマはかつてよく見た映画館である。僕が通っていた頃は三軒茶屋東映と言う名だったから、三軒茶屋シネマと言う名前には違和感がある。その名の通り東映の系列館、一番古い記憶は東映まんが祭で『グレンダイザー ゲッターロボG グレートマジンガー 決戦! 大海獣』を見た七十六年に遡る。次が小三の『宇宙からのメッセージ』。同時上映の『サーキットの狼』には関心がなく、早く着いたから途中から入っただけだ。よく見に行っていたのは高校までだった。『ブレードランナー』と『遊星からの物体X』のニ本立や『第三の男』と『ジョルスン物語』のニ本立、『スター・ウォーズ』、寺山修司の特集までここで見ている。しかし九十年代以降はろくに行っていない。最後に見たのは『ベルベット・ゴールドマイン』、いや『ジェヴォーダンの獣』だと思うが『ジュヴォーダンの獣』は三軒茶屋映画劇場だったような気もする。その三軒茶屋映劇も去年閉館、僕が気づいたのは年末に友人のウェブサイトを見てだった。どちらもニ本立のはずだが一本しか記憶がないのは最終回でその一本しか見ていないと言うことだろうか。いずれにせよ、最後に見に行ったのは十年以上前、その前から歩いていける距離だったのにほとんど行かなくなっていた僕に閉館を惜しむ資格は多分ない。
  今日までサイレント映画特集で『街の灯』『アーティスト』のニ本立、明日から最終プログラム『そして父になる』『のぼうの城』のニ本立となる。他の作品はともかく、『のぼうの城』もフィルムを焼いていたとは。久し振りの三軒茶屋シネマは閉館を聞きつけた観客で、こんなに客が入っているのを見たことがないと言う状態だった。男子トイレに貼ってあった由美かおるのヌードはもうなかった。そんなものをトイレに貼って、一体どうしろと。
   三軒茶屋は九十年代初頭まで映画館が三館あったがこれでゼロ館になる。『ぴあ』のオフシアター欄に載っていたスタジオアムスも入れれば四館だったのに。スタジオアムスは16ミリ映写機を備えたイベントスペースで、初期はビデオの発売に合わせての上映会を貸館として行い、やがて旧作邦画の上映を定期的に行うようになった。世田谷区内は九十年代初頭には三軒茶屋、下北沢、二子玉川、下高井戸に映画館があったが、下高井戸の一館を残すのみとなった。映写環境のフィルムからデジタルへの転換は急速で、対応出来ない、要は一千万を越す高価なデジタルの映写設備を入れられない映画館はほとんど生き残れないだろうと言われている。フィルムのみの映画館は保存される文化遺産になってしまうのだ。それはシネコン以外の映画館の消滅を意味する。
   ああ、三茶から映画館が消える日が来るなんて!