茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(社員?)(538)差押予告状

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(社員?)(538)差押予告状
加藤匡通
十一月×日(火)

 市役所から差押予告状が来た。この前は生活応援商品券で今度は差押え、市役所も大変だ。
 市税滞納に対しての文書だった。去年、一旦滞納分を全額反則技を使って払ったが、今年になってからコロナ対策支援金申請のために過去の収入を修正したら追徴金が発生したのだ。しかも十六万。市役所はそれを一括で払えと請求書を送ってくる。一括は無理だろと思っていたら、督促状に差押予告状が同封されていた。電話でどうにかなったものの、去年のようなことは出来ないので分割して払うことになった。ああ、貯金なんて出来ない。
 差押予告はこれで何度目だろうか。僕自身はどうにか回避しているものの、差押えには馴染みがある。
 最初に差押えを受けたのは中学の時だ。父はギャンブル依存症だったので(子どもたちによる診断。)会社を経営していた。理解していない人は多いが会社経営はギャンブルである。当然、投資も起業もギャンブルだ。資本主義はギャンブルである。このまま展開したい気もするが話を元に戻す。
 ある日家に帰り、ドアノブに手をかけるとドアノブが何の抵抗もなくするりと回転した。ドアノブは通常何らかの引っ掛かりがあって、手に鍵が開いたと言う感触を伝えるものだが、それが一切なかった。何だろうと思いながら家に入ると、当時は狭いアパート暮らしだったので、玄関から台所を通して居間(全然居間じゃないんだが取り敢えず居間としておく。)が見え、父が呆然と座り込んでいるのが見えた。部屋に入り、父が見つめている壁を見ると、「差押え仮執行命令書」が壁に糊付けされていた。家の中をよく見ると壁だけでなくテレビや冷蔵庫にぺたぺたと糊付けされている。幸い僕が心配した本棚には貼っていなかった。もちろん本にも。
 その時父とどんな会話をしたのかはまるで憶えていない。家族との会話も憶えてはいない。ただどう思ったのかはよく憶えている。一度くらいこういう経験をしてもいいな、と思ったのだ。馬鹿である。

 仮執行が解除されると父は命令書を剥がして廻った。裁判所の許可なく剥がすのは禁じられている。いちいち見には来ないだろうが、解除までは待ったと思う。こんなものが貼られる機会はそうそうないからと、 テレビの裏に貼ってあった一枚だけは僕が守った。そのテレビは僕が一人暮らしを始めると僕の部屋に運ばれ、部屋に来た友人たちに、ほらほら面白いだろう?と見せびらかすことになる。
 だが、父は嫌だったのだろう。茨城に移り父とまた暮らしだしたら早々に命令書は剥がされてしまった。まあ当たり前か。
 二度目は茨城に来てからだ。父は排水処理の会社を経営していて、東京で日雇派遣をしていた僕はそこに呼ばれたとは以前に何度か書いている。だが会社はうまく行かないまま父は病死し、引き継いだ僕が潰したのだが、それはともかく。
 〇七年の十二月のある日のこと。会社の口座から金を下ろそうと銀行に行った。しかし下ろせない。通帳にはシゼイサシオサエと印字されている。通帳に載るんだ!市役所に電話をかけると、父は市税の督促に対して全く連絡をしなかったらしい。そりゃまずいだろ。一応、父にも伝えた。
 この時父は癌の末期で残り時間があるのかわからない状態だった。伝えた直後に倒れて入院し、以降は寝たきりになり、それから二ヶ月生きた。伝えなければもう少し生きていたような気はする。ちょっと後悔した。
 二度あることは三度あるとか言うけど、三度目いらないから!