茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(559)こんなところに黒旗が(その五)

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(559)こんなところに黒旗が(その五)
加藤匡通
九月××日(火)
 前回書き忘れたが、今の現場での仕事は日雇だ。派遣ではない。完全に日雇は、あまり経験がない、と書こうとして最近なかっただけで一時期はそればっかりだったと思い出した。日進建設の土工も丸進工業の養生・クリーニング工も日雇だった。普段会社名を出さないのに名前が出ているのは、どちらももうなくなった会社だからである。世紀が変わる前後だから二十年以上前の話だ。そりゃ忘れるわ、と言い訳する。
 日進は印紙を貼る会社だったがアブレ手当がもらえるほど仕事は入らず(アルコール依存症最盛期だったからではある)、丸進は面接時に書類に「日雇」とあってびっくりしたが印紙は貼れないと言われた。なら「日雇」って謳うなよ。どちらも活動家の紹介だった。明日休むと言っても融通が利くので活動家には日雇や日雇派遣で働く者が多かったのだ。
 穴掘りから現場は変わり、工場の改修工事に入っている。僕の作業は撤去材の搬出で、暑い中解体屋が撤去した材料を運び続けている。しかも野外だ。想定よりはるかにきつくて、一日これじゃ保たないと思ったが、休憩は通常より三十分早かった。そうしないと本当に倒れる者が出るからだろう。屋外の仕事が続いて見事に日焼けしつつある。ヘルメットを脱ぐと顎紐の跡がついてやがる。
 つくばで『福田村事件』を見た。事件そのものを知ったのは茨城に来てからだ。事件のあった福田村は今の野田市なので、僕からすると利根川の向こう側となる。茨城でも関東大震災後の朝鮮人・中国人虐殺があったのかはわからない。なかった、とは言えないのではないかと思っているが、資料はないらしい。だからわからないとしか言えない。映画は正面から事件を描いていて、好感を持った。濡れ場も含めてあれでいいのだと思う。
 野田醤油争議と思われる場面があって、黒旗が赤旗と共に翻っていた。実際の争議に黒旗が出ていたのかは知らないが、まだまだアナーキズムが強かった頃なので出ていてもおかしくはない。ついでに言えば、平沢計七は出てくるが大杉栄は出てこないところにも好感を持った。関東大震災大杉栄は未だにセットで呼び出されるが、僕はもう大杉への関心を失っている。今でも大杉と言ってるってことは、その後の百年僕たちのアナーキズムは何も出来なかったと言ってるようなもんだと思うんだけどな。