茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(547)『落ちぶれゼウスと奴隷の子』

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(547)『落ちぶれゼウスと奴隷の子』
加藤匡通
四月××日(木)
 三月に入ってからそれまで組んでいた職人と離れ、U社の監督の下で動いている。監督直属の多能工と言ったところだ。もちろん本人は雑工だと思ってる。
 この監督は建築のゼネコンや電気、空調などのサブコンとの調整役をしているので、他職との絡みで対応しなければならない作業が回ってくる。床に長尺シート貼るのに邪魔だから床から立ち上がってる配管切って、なんて作業である。
 指示はほぼ口頭。うろ覚えだったり勘違いだったりしていろいろと間違え、ぶん殴るぞとか言われてる。口癖だとしても感心出来ない言葉だ。この話を職人たちにすると、指示は書面でもらわないと誰だって間違えると言われた。確かに。書面を作る手間をかけたくないんだろうな。
 間違いが多いので監督からは現場内の最下層と認定されたらしい。僕にだけやたらと当たりが強くなった。僕が怒鳴られているのを聞いていたある職人は「あいつ人によって対応変える奴だったんだ。」とこの監督に対する評価を思い切り下げていた。
 で、連日ボコボコにされ続けてすっかり嫌になった。三月は映画の本数も半減した。精神状態は如実にいろんなところに反映される。休憩時間に本を読む気にもなれない。日雇派遣で同様の目に合っていた時は、本屋も映画館も近くにある繁華街だったにも関わらず、現場帰りに立ち寄ることはなかった。現場で擦り切れてしまい、そんな余裕がまるでなかったのだ。考えてみれば、この一年弱は楽をしていたよ。
 前にも書いていると思うが、仕事・賃労働は僕の本質でも実存でもない。確かに一日の大半を占めているが、正直に言えば生きていくためにしているどーでもいいことである。だが、にも関わらず仕事は僕をすり減らし、傷つける。どうしてこんなことのために、とは思うものの、どうにもならない。
 ぐったりしながら帰りに本屋に入った。まだ本屋に寄る余裕はある。講談社学術文庫から『ゴルギアス』の新訳と『落ちぶれゼウスと奴隷の子』の二巻目が出ているのを見つけた。気分が上がった。僕は安上がりだな。
ゴルギアス』もさることながら、『落ちぶれゼウスと奴隷の子』だ。古代ギリシアが舞台の漫画と言う段階でかなり珍しい訳だが、主人公はアテナイにいるエジプト人奴隷の少年!少年はゼウスを封じ込めている設定のファンタジーではあるものの、当時の奴隷と女性の境遇を詳しく描いていて「これが読みたかったんだよ!」と叫んでしまった。父親の財産としか見なされない娘や話をする道具としか見なされない奴隷たちの物語は読んでいて辛いのだが、それでも彼らのその先を読みたい。かつて実際にいくらでもあっただろう彼らの苦難をちゃんと知りたいと思う。奴隷とアンダークラスは僕の中で地続きだ。古代ギリシアの哲学者たちより奴隷への共感の方が、今の僕には強い。