茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇派遣)(527)引っ越しで潰れる

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇派遣)(527)引っ越しで潰れる
加藤匡通
三月××日(土)
 V社の社長が月曜から現場がある、定期も買っていいと電話して来た。どこまで真に受けて良いものか。しかしこれで月末まで派遣会社に出て現金を手にする予定はパーになった。金が入って来るのは四月の第二週か。もう金がないので現金が欲しいんだが、うーむ。
 派遣会社の仕事、今日は引っ越しだ。朝八時四十五分に事務所集合、その後の移動も短距離。朝が遅いとその分眠れるから嬉しい。しかしその後は地獄だった。
 派遣会社からは三人、一人は引っ越しの出来るベテランで僕より年上、一人はそれなりに現場経験のありそうな僕よりは若い者、僕、である。

  現場周辺には三階建ての賃貸アパートが多い。どれもエレベーターはない。現場もその中の一つで、家族四人が転居してきたのだ。四人分の荷物!びくびくしながら待っていると、荷物は二トントラックが一台に四トントラックが一台。三階まで運び込むのだと言う。どうなることかと箱型トラックの荷台の扉を開けてみると、四トンのほうはスカスカ、二トンも七割入ってないくらいでちょっと安心した。車に目一杯だったら身体が保たない。

 四トンの運転手は荷下ろししかせず、荷物を運ばずとっとと帰るのを唖然として見送る。引っ越し会社の二トンの二人と派遣会社の三人でリレーしながら全部運ぶのだ。多少持ち辛い物はあるものの、極端に重い荷物はない。家族四人にしては荷物も少ないと思う。引っ越しとしては楽な方なのだろう。だが、僕には全く楽ではなかった。

 階段を何度も上り下りをしている内に、腕にも脚にも力が入らなくなって来る。本当に最初の頃だけ階段でリレーが成立したが、段々僕が運ぶ距離が短くなって行き、引っ越し会社から交代を命じられる。しばらく平地の中継をしていたが、そのうち階段で受け取る者が荷物を部屋に分配するのに忙しくなり、また階段に戻る。全身汗でびっしょり、息は上がっている。マスクをしろと言われ、苦しくなってずらしていたマスクを口元に戻すと汗でぴったり口に貼りついて息が出来ない。階段を上るのがかなり苦痛になって来た。三階まで何度か休まないと登れない。こんなにきついのは初めてだ。現場作業で作業員がこんな状態だったら間違いなく休ませてる。

 運び込む作業は途中で一度十分ほどの休憩があったものの、二時間半で終わった。開始が十時だから十二時半終了だ。僕より若いもう一人も僕ほどではないがかなりへたばってる。ベテランは引っ越し屋同様に涼しい顔で、こっちをしょうがねえなって見ている。携帯についてる万歩計を見ると、この二時間半だけで一万歩を軽く越えていた。これで膝が痛み出したり、あと一時間も続いていたら本当に潰れている。もっともベテランからしたら潰れてた様なもんだろう。

 作業は終わり駅に向かうも、出来ればどこかに腰を落ち着けたい。歩くのも辛い。息は上がりっ放しだ。途中のコンビニにイートインはなく、仕方なく駅まで歩き、駅前の商業施設に座るところを見つけてへたり込む。動きたくないし何も出来ない。

 三時過ぎに派遣会社の事務所に行き、一万一千二百六円を受け取った。時給換算なら割はいいと言えるのかもしれない。でも、二十年前ならともかく、僕にはもう引っ越し無理だな。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇派遣)(526)通販、使いたくないなあ

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇派遣)(526)通販、使いたくないなあ

加藤匡通

三月××日(水)

 昨日仕事の確認の電話を派遣会社に入れると、「倉庫なんですけど事務所移転と同じ額出すからどうですか?」と聞かれた。事務所移転、引っ越しは倉庫作業よりやや金額が高い。物は試しだ、行ってみよう。倉庫作業は二十五年振りか。前はトラックからひたすら手で荷下ろしをしたっけか。

 朝、派遣会社の事務所で待ち合わせて計三名で移動、現場最寄り駅からバスと聞かされ交通費の心配をしたが企業バスだった。企業バスなんて乗ったことない。

 巨大な物流倉庫のごく一部が作業場所だった。通信販売の発送、詳しく言うと商品を大雑把な地域ごとに仕分けしてパレットに積み、配送業者のトラックに乗せる作業である。伝票の番号を見て仕分けをするんだが、説明されてもとても覚えられない。ちなみに説明しているのも同じ派遣会社で、仕分け積み込みは派遣会社が行っている。業務として請け負っているのかはわからない。この日は派遣会社が五人。職長と思しき人は今日の新人三人を端から当てにしてない、と言うか小馬鹿にしている節がある。見返す気なんかないのでどうでも良い。

 作業は九時開始、休憩なしで一時まで作業、一時間昼休みをとって二時から五時半まで休憩なし。午後は四時頃から暇になって来たものの、一時まではずっと動きっ放しだった。パレットに電子レンジを手で積み込み、そのパレットをハンドリフトでトラックの前に動かし。ハンドリフトを一日使ったのは久しぶりだ。これが工事現場なら手が空いたらハンドリフトに乗って遊んだりするんだが、とてもそんな余裕はない。あってもやってたら怒鳴られてたろう。ハンドリフトを動かすのが遅いと言われたが、素人に何を期待している?携帯は持ち込み禁止だったので、万歩計で数えてはいないが一万歩じゃ利かないだろうな。

 商品を用意して伝票を貼り、僕たちに渡すまでは通販会社の仕事だ。彼らも別に通販会社直雇用の正社員なんかじゃないだろう。だが彼らは昼は十二時には取り、三時もしっかり休んでいる。こっちがてんてこまいでも手は出さない。そんなもんだろ。

 物流倉庫を作りに行ったことは何度もある。最近だってV社の仕事のいくつかは物流倉庫だ。だが、中でこんな風に働いているとは知らなかった。今やテレビでもラジオでも、もちろんネットでも通販は大流行、テレビとラジオは多分通販会社がスポンサーにならないと立ち行かないところまで来てる。だが僕はひねくれ者なので、通販にいい印象を持っていない。倉庫に行ってますます悪くなった。エッセンシャル・ワーカーとかカタカナでよくわかんないこと言ってるけど、拍手なんかしなくていいから給料増やせよ、人手増やせよ。新型感染症の中、多くの人が外出しなくても生活出来たのは誰のおかげなんだよ。

 くたくたになって帰ろうとしたら、企業バスは出た直後で次は三十分後だと言う。駅まで三十分歩いた。さらに疲れた。試したからもう倉庫は行かなくていい。僕には辛い。

 事務所で給料を受け取る。一万二千七百三十五円だった。交通費を引いても一万円強残った。

 

 

 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(525)日当一万千二百五円

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(525)日当一万千二百五円

加藤匡通

三月××日(土)

 日雇派遣に登録して月内はそこで働くことにした。登録した翌日から働きだした。

 事務所移転を希望したが、まず回ってきたのは個人宅の引っ越しだった。朝、派遣会社の事務所に集合して、相方一名とともに電車で移動し、個人宅に向かう。引っ越し屋のトラックは二台来ていた。まじか。

 だが杞憂だった。箱型トラックの荷台に半分も積んでない。引っ越し屋が想定したより荷物が少なかったのだ。それでも派遣会社で引っ越しをしたのは九十七、八年なので二十五年振り、階段を上り下りして段ボールを運ぶのはきつい。ましてやこの三週間まともに働いていないのだ。荷物を運んでいたのは午前中一時間半、午後二時間だったからよかったものの、延々積み込みをされたら身体がもたない。

 車で移動していた一時間半が休憩と言えるのかとても疑問だが、昼も食べずに二時前に終わった。

 ちなみに午後の荷物の運び入れの方が時間がかかっているのは、入れた荷物をやっぱり要らないとトラックに戻したから。引っ越し屋に頼むと処分料は高くなるが、それでも構わないという人もいる。積み込んだ荷物の四分の一は廃棄処分にしたと思う。この国は豊かだよ。

 初日で手続きを分かっておらず、この日は給料をもらい損ねた。僕は繁忙期の募集人員なので朝夕事務所に寄って作業服を借りて返さなければならない。返すついでに給料を、と思っていたのでがっかりして帰った。

 二日目の今日はいよいよ事務所移転である。朝事務所に寄って、今度は四名で都内に向かう。都心のビルの中の事務所の改装なのだろうか、机椅子、パーテーションの搬出だった。他の会社と合流して流れ作業でどんどん運び出す。僕は地下駐車場でトラックへの積み込み、来るトラックは全て平ボディーで昇降装置なしだから手積みである。パーテーションなんかは軽くていいが、書類の入った段ボール箱とか机の上板とかかなり重い。またか。腕は今朝から痛い。これは明日とか体中痛いのでは。

 事務所に寄って作業服を返し、給料を受け取った。昨日も今日も一万一千二百五円だった。繁忙期で時給が二百円アップ、更に交通費が一時間七十円程度乗って、そこから所得税を引かれてこの金額だ。そう、交通費は一日五百円程度しか付かない。ええと今日の交通費は全部で二千六百円だから、うお、八千六百五円!うわあ駄目だあ。

 更に「加藤さん月曜は仕事が薄いのでお休みです。」と言われた。あっはっは。笑うしかない。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(524)一年ぶりの面接

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(524)一年ぶりの面接

加藤匡通

三月××日(木)

 先月終盤から一か月とは言わないが、かなり長いこと休んでいる。仕事があったのはその間一日だけ。もう無理だ。一年振りで面接に行った。

 派遣会社の事務所移転の面接で、面接と言ったってほぼ誰でも通る説明会だ。これはよくある。今回は二か月毎の有期雇用、だからこれは日雇派遣ではない、のか?なんか説明はどっちとも取れるようだった気がする。まあいいや。繁忙期の求人と言っていたので、多分今月一杯で仕事はなくなるのだろう。なので来月にはすぐ次を探さないと。

 なら初めから長期を探せばいいのだろうが、休みの融通が利く派遣の仕事についつい目が行ってしまう。建築現場の仕事は、もとい、たいていの仕事は、会社にもよるのだろうが好き勝手に休めるところの方が少ないに決まってる。それに、正直人間関係を一からつくったりするのには二の足を踏む。こう見えても(いや、どう見えてるんだか知らないんだが)小心者である。いつまでこんなことを繰り返しているのかと思わなくはない。

 翌日の仕事の確認は時間が決まっていて、三十分しかない。その時間に電話しないと仕事はないと言われている。長く続けていれば違うのかもしれないが、当分は時間を合わせるしかない。うおお、映画を見る制約が増えるのか!これも久しぶりだ。土曜に映画を見に行くつもりだったけど、駄目だな。どうするか。

  

 

 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(523)季節労働者と自覚する

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(523)季節労働者と自覚する

加藤匡通

三月×日(火)

 二月末を待たずに仕事はなくなった。こうなると季節労働者だな。

仕事がないのだから読書がはかどってよさそうなものだが、組合大会の準備だのいろいろすることがあってなかなか進まない。それに、読んでいたプロティノスや他の古代ギリシア関係は中断、今はロシアとウクライナの本を読んでいる。

 で、休みだとゆっくりしていたら社長から電話あった。夜勤だと言う。電話があったのは朝の十時で仕事はその日の夜の九時から。首は締まっているので出ることにした。その日の予定は諦めてとりあえず布団に戻ったが、そんなに都合よくは眠れない。

 都心の繁華街にある小さなビルのトイレの改修だった。便器の下の排水管の交換だが、実際の作業は天井裏になる。V社から四人と監督一人、それで充分にできる分量しかない。現場は昼も動いていて、多分昼には僕たちがつないだ配管の先に便器が取り付けられる。正直、四人いなくてもどうにかなるくらいの作業だ。それだけ仕事がないということなのだろう。

 作業は片付けも含めて四時過ぎには終わり、始発を現場の前で待つことになった。現場の、建物の中から追い出されたに近い。監督は昼もやっているのだから、気持ちはわからなくもない。駅はすぐ近くだ。

 と、社長が車でやって来た。道具の引き上げに来たのだ。現場は二日だけなので、持ってきてすぐに引き上げだ。社長が来るなり早く車に道具を積み込め、ぼさっとするなと僕たちを怒鳴りつけている。「こんな鼻くそみたいな仕事させやがって、俺は頭に来てるんだ。」それ、僕たちに言うことですか?いつも見事な反面教師ぶりには頭が下がります!

 さて、今日は作業をしたいんだけど、昼間起きてられるかな?

 
    

自由労働者連合声明 覇権主義による戦争を阻止しよう!

自由労働者連合声明 覇権主義による戦争を阻止しよう!

 

覇権主義による戦争を阻止しよう!

自由労働者連合は、ウクライナへのロシア連邦およびNATOによる軍事介入を強く非難します。ロシア連邦は直ちにその軍隊を国境とドンバス地方およびクリミア半島から撤退させるべきです。NATOは自己の拡張主義を止めるべきです。

親ロシア派武装勢力ウクライナ政府などの国家主義者によるあらゆる民族主義プロパガンダに惑わされることなく、ウクライナの労働者とロシア系ウクライナ人の労働者は民族主義的な分断を乗り越えて団結しよう。ロシア連邦およびNATO加盟諸国とそれに連なるウクライナブルジョワジー勢力の帝国主義による戦争を止めよう。

世界の労働者民衆はウクライナ労働者民衆と団結し、覇権主義による戦争を阻止しよう!

(二〇二二年二月二十三日発表)

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(522)置いてきぼり

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(522)置いてきぼり

加藤匡通

二月××日(木)

 先日から入っている現場は前にも書いた通り応援で、この会社は前にも学校関係で入っている。V社からは僕ともう一人来ているが、もう一人の方は最近ずっとこの会社の応援に入っている。

 ここの社長はいい人なんだがかなりせっかちである。V社の社長に爪の垢を煎じて飲ませた方がいい、ともう一人の応援と話しているが、せっかく飲んで多少いいひとになってもせっかちが倍加して台無しになりそうだからやめよう、と結論、計画は取り止めた。

 作業の空調は以前と同じだが、今回はダクト配管の取り付けだ。ダクトは薄いながらも金属製、他の機器も含めて高所作業車での作業で天井から吊り下げる。図面を見ながら天井に墨を出し、適切な位置にアンカーがあればそれを使い、なければハンマ-ドリルで穴を開け、アンカーを打ち込み、全ネジを差し込む。そこまでやってやっと器具ないしダクトの取り付けになる。この作業をV社の二人でやっている。二人ともV社では職人ではないが、僕はもう一人の手元に近い。つまり一人では何も出来ない。

 この現場に来て二日目のこと。社長は一人で、僕はV社のもう一人と動いていた。昼前に社長が言った。「午後から別の現場に行くから。加藤さんはここに残って。」当然僕に拒否権はない。大丈夫だよねとか言ってるが、大丈夫な訳ないだろ。

 午後はダクトの吊り下げだった。空調に監督に「すいません、この作業初めてなんですけど。」と謝りながらやり方を教えてもらっった。「あの社長もしょうがねえなあ。」と苦笑している。どうにかこうにか作業をしたものの、我ながらものすごく遅い。午後丸々使ってどうにか短いのを一本だけ。お話にならない。

 数日経つと、朝九時過ぎには社長たちは別の現場に行くようになった。作業そのものはダクトの吊り下げそのものから、空気漏れを防ぐため継ぎ目にシール材を塗ってその上からテープを巻く簡単なものに変わっていたが、だからと言って置いてきぼりはいかがなものかと。

 帰りに沿線の古本屋に寄ってみた。ネットの書き込みには「店主に態度が悪い。」とあったが、数冊の本を持って会計しながら話をするとなんの問題もない。単に安い本を探そうとしてるだけなら店主も気持ちよくはないだろうさ。棚に『香山滋全集』が並んでいたので聞いてみた。「あれ、売れそうですか?」「いやあ、売れないんじゃないかなあ。」四万五千円なので今の僕にはちと手が出せない。バブルは弾けた。買えるといいなあ。もっとも、買っても読めるかどうか。好きな小説家だけれども、いろんな理由から優先順位はどんどん下がっている。

 そして翌週。最早朝、社長たちは顔すら出さない。おい!