茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇い派遣日記(61)五時起き

十一月×日(木)

               加藤匡通

 交通費を少しでも浮かそうという涙ぐましい努力(自分で言うな)で現場最寄駅を使わず、離れた駅から歩いている。が、今朝は寝ぼけて下車駅の手前で下りてしまい時間がなくなったので最寄駅まで出た。前にもこんなこと書いたよな。これじゃ五時起きの意味がない。
 現在毎日五時起きである。朝食を食べてから出ようとすると起きてから家を出るまでに一時間、食べなくても三十分かかってしまう。朝食を食べてから出るのは経済的な理由は当然として、家から駅までにコンビニもないからだ。駅前にスーパーはあるけど開店は九時、家で食べなきゃ都内に出るまで何も食べられない。G社もといY社の現場はたいてい六時二十四分みらい平発に乗れば間に合う。むしろ早いくらいだし、交通費を節約しようとして歩いてもまだ時間的に充分だ。これはY社の現場が東京東部に多いこと、つまり自宅からそんなに遠くないことと、現場入りが八時で大丈夫だから出来ることである。元請がゼネコンではなく多少緩めだから、とも言える。日雇派遣なら朝は最寄駅に七時半集合、現場入りが遅くとも四十五分となる。で、しかも世田谷なんて言われたら五時台の電車に乗らなければ間に合わない。
 都内でやってた頃、自宅から二時間の現場に通っていたことが何度もあって、そうすると始発で現場に向かうことになる。世田谷の豪徳寺から神奈川県の辻堂や港南台に行かされたり、埼玉の狭山ヶ丘に行かされたり。通いになれば朝の集合はなくなるものの、遠距離になればなるほど電車の接続は悪くなるので電車一本くらいの違いしかなくなるのだ。四時半に起きて前夜用意した荷物担いで電車に乗ってから一眠り。始発じゃなくても通勤ラッシュとはずれていたので座って眠れたんだよ。
 そんな状態に比べりゃ今はまだラク、と思うことにしよう。それに僕は車の運転からは逃れられている。朝、時間を気にしながら眠気こらえてなんてたまったもんじゃないが、現場労働者の半分はこれから逃れられない。ご苦労さんである。でも僕はもうやだ。
 ちなみにサラリーマン時代を別にすると(最近は僕が勤め人だったと言うと驚く人が多いけど、そんなに変かねぇ?もちろんスキンヘッドじゃなかったさ。)朝が一番楽だったのは父が死んで僕が経営者になってから。なにせ自宅は事務所の二階、極端に言えば八時に下に下りていればよかった訳で、これはものすごく楽!えっ、だから潰れたんだって?そりゃそうだ。