茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(516)いろいろ今年最後

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(516)いろいろ今年最後
加藤匡通
十二月××日(木)
 今年最後の仕事は植木屋の手伝いだった。何年か前の夏にやったのと同じ植木屋だ。今回はマンションの植木の手入れである。植木を刈るのは植木屋で、僕は刈った葉や枝を片付ける手元、前回と同じだ。
 刈った枝はトラックに積んで行く。前回はニトンだったが今回は軽トラだ。見たところ前回のように太い枝はないので軽で充分なのかもしれないが、正直僕にはわからない。
 植木屋の彼はかなり飛ばして仕事をしている。九時前から始めたのに休憩をはさんで昼には三分の二以上終わったように見える。前回はでかい木があったので一旦木に登るとしばらく降りて来なかったが、今回は九尺の脚立で登り下りを繰り返している。
 しかし植木屋ってみんなこんなに手が早いのか?このままだと二時には現場を出ているのではないかとさえ思ったが、僕が思う以上には植木は残っていたらしい。全部刈り終わったのは三時前だった。やっぱり状況把握してないなあ、俺。
 仕事が早いのは植木屋の彼であって僕ではない。僕は下から彼をぼうっと見上げて時々枝を片付けている。膝だの腰だのが駄目になって前回のようには動けない。
 彼は同志でもあるので仕事中でも運動の話ばかりしている。当たり前だが仕事中に運動の話をする機会はほぼない。楽しいなあ。
 仕事が終わってから『POP!』を見た。新聞の映画評で関心を持っていったんだけど、年に一、二本の思いっ切り外した映画だった。今年最後の映画がこれかよ。うわあ。
 どよーんと苦笑いしながら帰って来てコインパークから車を出そうとすると、エンジンがかからない。五月にシネコンの駐車場で車が動かなくなったと書いたが、あれから車の調子は今一つで、しばしばエンジンがかからなくなっている。その度にサイドブレーキを解除して後ろから車を揺すって、ミッションが噛んでいるのを外すと言う作業をしている。傍から見たら車泥棒だな。しかも失敗した。
 三十分いろいろやってみたが動かない。日付も変わってしまった。これは諦めるしかないか。とにかく帰って一旦寝よう。そう思って歩き出したら近くのスーパーの駐車場に停まっているパトカーを見つけた。もちろん普段なら近づかない。けどこれはどうにもならないな。ちょっと手伝ってもらおうか。
 幸先のいい大晦日の始まりだなあ!(だから日付隠してる意味がないだろ!)
(改行間隔がおかしいのは意図しているのではなく、うまくブログを操作出来ないからなので見なかったふりをすること!)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  

私たちも君主はいらない バルバドスはなぜ共和制を選んだのか?

組合員加藤からの投稿です。

 

私たちも君主はいらない
バルバドスはなぜ共和制を選んだのか?

2月6日(日)14時から16時
       お話 太田昌国さん(評論家・編集者)

    その後、討論


つくば市立吾妻交流センター 大会議室(つくば市吾妻1-10-1つくばセンタービル4Fつくばエクスプレスつくば駅A3出口より徒歩3分)
参加費500円
主催 戦時下の現在を考える講座  連絡先 090-8441-1457(加藤)

mail: under_the_war_regime@yahoo.co.jp
blog: http://inwartimeinibaraki.hatenablog.com
twitter: https://twitter.com/against_war

 二〇二一年、世界地図から君主制の国家がまた一つ消えた。カリブ海のバルバドスはイギリスの現国王を君主とする英連邦王国の一員で立憲君主制だったが、十二月一日から共和制に移行した。これによって英連邦王国は十六か国から十五か国になった。
 君主制とは、言葉の元の意味では「ただ一人の支配」となる。近年はだいぶ変容して「君臨すれども統治せず」と言われたりすることもあるが、一人だけ偉いものがいて、他の大勢はその者に従うと言う構図は変わらない。天皇のいる「日本国」は立憲君主制の国家である。
 英連邦王国とは、イギリスとその旧植民地で構成されるイギリス連邦のうち、イギリスの現国王を君主とする国を指す。カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどが該当し、かつては例えばインドもそうだった。地球上には現在百九十を越える国家があるが、君主制の国家は四十二か国、その三分の一以上が英連邦王国である。二十世紀初めには九十を越える君主制の国家があった。一時期に比べてその速度は落ちているものの、君主制の国家は確実に減少している。
 バルバドスはカリブ海の東側にある、種子島ほどの大きさの、人口二十九万人の国である。一九六六年にイギリスから独立した、世界遺産を持つ、サンゴ礁で出来た小さな国だ。
 私たちのいる国では大きく報道されてはいないが、これは大きな出来事である。なぜバルバドスは独立から五十年以上経ってから、あらためて共和制を選び、君主制を廃止したのか?そもそもバルバドスとはどんな国なのか?それを考えることは、私たちはなぜ未だに君主制を続けているのかを考えることでもある。
 だが、問いはここでとどまらない。バルバドスが選んだ共和制とは何だろうか。それは手放しで礼賛できるものなのだろうか。できればこのようなところまで考えてみたい。

 

20世紀に君主制から共和制に移行した国
アイスランドアイルランドアフガニスタンアルバニア、イエメン、イタリア、インド、イラク、イラン、ウガンダウクライナ、エジプト、エチオピアオーストリア、トルコ、ガーナ 、ガイアナ 、ガンビアカンボジアギリシャクロアチアケニアシエラレオネザンジバル(タンザニア)、シッキム、スペイン、セイロン(スリランカ)清、タンガニーカタンザニア)、中央アフリカチュニジア、ドイツ、トリニダード・トバゴ、ナイジェリア、パキスタン、バルト(ラトビア)、ハンガリー 、フィジーフィンランドブルガリアブルンジベトナムポーランドポルトガルマラウイ、マルタ、南アフリカモーリシャスモルディブ、モンゴル、ユーゴスラビア (クロアチアコソボスロベニアセルビア共和国ボスニア・ヘルツェゴビナマケドニアモンテネグロ)、ラオスリトアニアリビアルーマニアモルドバルワンダ、ロシア


21世紀に君主制から共和制に移行した国
アフガニスタン(二〇二一年、国際的には承認されていないが君主制に移行)、ネパール、バルバドス

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(515)いろいろ敗北

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(515)いろいろ敗北
加藤匡通
十二月××日(土)
 四か月続いた昼しか休めない現場はとうとう終わった。本当は今日辺りまではそっちの筈だったが、社長が振り回し始めた。
 夏以来でコン打ち合番に来ている。初めて行く現場で、駅からバスだ。が、失敗してバスでは間に合わなくなり朝礼直前の現場にタクシーで乗り付けた。二千三百円かかった。朝から敗北感が漂う。

 慌てて設備の元請けの監督にあいさつしヘルメットと安全帯を身に着け朝礼を終え、簡単な説明を聞いた。

  現場は物流倉庫になる。まだ基礎の段階で捨てコンの上に鉄筋を組んでいる。完成したらピットになる部分、通常はメンテナンス要員でもあまり入らない場所だ。しかしかなりの広さだ。これが全部コン打ちだったら二十四時間ぶっ通しで続けても終わらない。もちろんそんなことはなく、一部を打設するだけだ。その一部のさらに極一部にスリーブが入っている。スリーブは全部で六本あった。

 設備や電気がコン打ちに人を出すのは、打設時にスリーブが潰されるのを防ぐためである。万一の時にその場で直すためでもあるが、それよりは人手を出すからお手柔らかに、と言う意味のほうが強い。でなければ日雇派遣に合番なんかさせない。今回のスリーブは鉄筋の上、打設時に歩いている地上から一メートル下、捨てコンのある地面から深い(高い、か)ところで四メートルの位置にある。一メートル下じゃ潰れても直しようがない。土工さん、お願いしますよ、乱暴にしないでくださいね、でしかない。今日は六本のスリーブのために一人工、設備屋から出していることになる。ちなみに今日の打設部分に電気のスリーブはないので合番は僕だけだ。

 地面から五メートルの高さで足元は鉄筋、しかもまだ基礎なので梁の上、幅はあっても一メートル。これは怖い。手摺や足場はほぼない。監督は「本当なら十時三時は交代するんだけど、僕まだ新人なんですよ。だから怖くって。」と言う。どう見ても三十過ぎ、何が新人なのかと思ったら、転職したばかりで建築業そのものが初めてなんだとか。そりゃ無理だわ。

 コン打ちはスリーブの入っている区画の隣から始まった。スリーブの部分は最後に打つらしい。前日に、スリーブのところ打ったら帰っていい、とか言われたが、希望はすぐに砕かれた訳だ。もっとも、スリーブ打ったからすぐ帰ったらそれこそ次以降にスリーブを潰されるんじゃないかと思うが。

 土工はずいぶん丁寧で、バイブが絡まることもなくコン打ちは進んでいく。さらに十時頃には土工が交代で休憩をとっていて、僕にも回ってきた。十分十五分しか休めないものの、気分はいい。

 昼は四十五分休んだ。三時を過ぎると生コン車があと何台と建築の監督が口にし始めた。ん?そんなんで全部打てるの?これは追加で頼んで残業になるパターンか。よくあることだが当然嬉しくなんかない。今日クリスマスだぞ(日付けを書いてない意味がないだろ。)。

 四時前になってスリーブのある区画になった。けどもう生コン車は最後の一台になっている。しかし監督が追加を頼んでいる様子はない。あれ?とうとうコンクリが出尽くした。スリーブは鉄筋の中にあるまま、打たれてない。土工に声をかけられた。「今日はもういいですよ。」ええ!

 唖然としている中、圧送していたポンプ屋も土工も片付けを始めている。本当に終わりらしい。設備の事務所に向かい、喫煙所にいた監督に伝えた。「スリーブ残したままコン打ち終わっちゃいましたよ?」監督も愕然としている。その、えーと、設備屋がコンクリート打設にバイブのスイッチ係として人を出しているのはスリーブを潰されたりしないための「お願いしますよ」であって、えーとえーと、これはどう言うことでしょうか?いや、スゲーわ、こんなの初めてだよ!

 監督だけでなく、職人だって怒り出すような事態である。今日の僕の人工は無駄になったということだ。無料働きと言ってもいい。どうなってんだよこの現場!面白過ぎる。

 すごい展開だったが V社の今年の仕事は多分今日で終わりだ。年末には他にアルバイトがある。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(514)忘年会が罰ゲーム

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(514)忘年会が罰ゲーム
加藤匡通
十二月××日(土)
 会社員時代から忘年会はあまり楽しみではなかった。いや、これは記憶を書き換えているのかもしれない。その頃は酒が飲めれば何事でも大喜びだった可能性は高い。だがまあ上司と飲む酒が旨かったかと言えば、決して旨くはなかったと思う。「職場の飲み会を嫌がる新入社員」が話題になっていた頃のことで、それは自分のことだと思ってもいた。
  月曜に社長から、土曜に忘年会をするから、時間に間に合うように仕事を終わらせて、と言われた。住人のいる工事で自分たちの都合だけで終了時間を決められる訳がない。呆れた。この件に関してはV社の職人は一丸となって呆れている。
  先月からモルタル補修を二人で出来るようになり、残業はほぼなくなった。それでも排水管更新班の方が早く終わっている。補修だけでなく、排水菅更新後の穴埋めもこちらでするようになってきたからだ。排水菅更新班から頼まれたのである。なのにこちらが穴埋めを終えて帰ってくると彼らは着替えも済んで僕たちの顔を見るなり帰っている。酷い時は職長以外全員帰ってたりもする。この穴埋めは君たちの仕事じゃないの?応援してるこっちが終わるまでは待ってるべきなんじゃないの?
  だが昨日から相方が休みなので補修は一人に戻った。月曜は相方が出て僕が休みなのでお互い様だ。その分作業は遅れるので排水菅を更新した後の配管周りの穴埋めは排水菅更新班にお願いした。お願いした?元に戻しただけだと思うけど、まあいいや。
  当然のように補修は遅れだす。今やっている棟は何故か斫り穴が大きくなっていて、モルタルを三分の一も入れていないのにエーパットが剥がれ落ちると言う悪夢が頻発している。エーパットの貼り方を工夫すればどうにかなるのだが、貼っているのは外国人でなかなか言葉が通じず伝わらない。昨日もまた落ちた。落ちたらやり直しで日程が一日遅れる。貼り方を工夫して急結剤を入れても、夏場でもないのに全部モルタルを詰めてエーパットを剥がして補修するなんて危なくて半日では出来ない。これは今日も予定通りにはこなせないか?でもあんまり残しちゃ月曜の相方が大変だしな。 

 社長が昼に顔を出して言った。「加藤さん遅くなるみたいだけど、来てね。」配管班には多分残業だと伝えてある。それを聞いてわざわざ言いに来たらしい。いや、別に忘年会出なくていいんですけど。

 一人でモルタルの入ったバケツを持って脚立の乗り降りを繰り返していたら職長から電話がかかってきた。終わったから先に忘年会に行ってる、だと。何時だと思ったら五時半を過ぎている。この現場の提示は六時だから彼らは一応早上がりだ。こっちはまだ終わんないよ。

 結局ノルマはこなせず、切りのいいとこまでやって片付けたら七時を過ぎていた。忘年会の会場はこの現場の最寄駅から一時間かかる。もちろん僕の帰る方向ではない。九時十時までやってると言ってたし、顔は出すか。休憩時間が半分しかないから現場じゃ本読めないけど、電車で読めるしな。

 会場の中華料理屋に着くと、当然みんな出来上がっている。最初からいたんならともかく、アルコール依存症で酒をやめた人間にとってはあまり気持ちのいいものではない。料理も酒もほとんどない。「加藤さん何食べる?」とメニューを渡される。ん?みんなもう食べないの?何を頼もうかと見ていると、帰り支度をして席を立つ者がいて、社長に停められている。「加藤さんが食べるまで待って。」帰っていい、と口にしたくなるのを堪えて担々麺と餃子を注文する。来た。食べた。食べ終わると社長が「じゃあ帰ろうか。」

 やっぱ俺来なくてよかったんじゃね?つか、これ罰ゲーム?

 

 

 

 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(513)手甲

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(513)手甲
加藤匡通
十二月××日(月)
 モルタルを触り続けているので手はガサガサだ。どこかに引っかけたとは思えない指の腹が割れていたのは一ト月以上前のこと。あかぎれだ。今年もハンドクリームの季節になったってことだ。
 夏前に右手首が痛くなった。手首を返すとかなり痛む。痛くて重い物も持てない。何かを握るのも辛い。パソコンのマウスを操作してすら痛い。医者にそう告げると「パソコンばっかりやってて運動してないからだよ。」と言われた。そうかぁ-、やっぱりこの程度で運動してるとか思ってちゃ駄目かぁ-。でもパソコンなんて均したら一日一時間もやってないと思うんだけどなあ。あ、いえ、言い訳しないで運動頑張ります!
 もっとも、医者に行ったのは手首の件ではない。膝の方だ。それに、医者に行った時には手首の痛みは退いていた。手首用のサポーターを着けたら劇的に効いたのだ。朝まで痛かったものが着けていたあいだ中、全く痛みを感じなかった。いや、その後も痛みはない。サポーターは効くと聞いてはいたがこれほどとは。
 ならばと手甲も買ってみた。手首に巻く青い厚手の布地、と言う説明でわかるだろうか?よく手首に巻いている職人を見かけたが、何に使う物なのかわかっていなかった。手首の保護?えーと、何から?こんな感じである。なるほど、この為だったのか!
    運動なんかろくにしてこなかった五十過ぎの身体が劇的に改善されることはない。これからどんどん衰えて行く身体を騙し騙し使っていく他はないのだ。この身体、いつまで動いてくれるものやら.
 

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(512)こんなところに黒旗が その四

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(512)こんなところに黒旗が その四
加藤匡通
十一月××日(月)
 集合住宅の配管更新現場は残業が続いている。僕は相変わらず廃水菅を通した穴に詰めたモルタルの補修をしている。 丸一日一人で、だ。
 工事をしている設備の元請けが倒産した。しかし工事全体を請け負ってうる元請けはなんともないから工事は継続している。だが、僕のいるV社の上の会社は逃げた。十時三時も取れない現場なんてやめればいいのに、と現場の人間はみんな思っているが、社長は労働者は休まず働かせるべきだと(多分)考えている。そうするとこんな素晴らしい現場はない。だからなんとしても残ろうとしている。実は他に現場はほとんどないらしい。
 現場には新しく業者が入ったりして職場環境が再編され、結果以前よりやや強化された労働が僕たちにのしかかっている。つまりかなり過重労働ってことだ。元請け一つなくなってるのを無理してやってるんだから当たり前だな。
 補修で使っている左官小手が駄目になってきた。先が柔らかくしなる小手だと天井の補修がとても楽だが、この小手は刃先の柔らかい部分と持ち手の硬い部分の接合部から解体しやすい。最終的には分離してしまう。
 もう剥がれ出していてそんなに長くは持たないだらうから、新しいのを買ってくれと社長に言うと、後で払うから自分で買って来いと返された。七時八時まで残業して朝は五時半に家を出る電車通勤なのにいつ買えと?休日に行けるホームセンターには安物の使いづらい小手しかないから言ってるんだけどな。車にモルタルの洗い水ぶっかけてやろうか?いかんいかん、これは社長が僕の徳を向上させようとして言っているんだ。そうに違いない、そうあって欲しいなあ、そうじゃなかったらどうしよう。
 昼しか休まず七時までぶっ通しとか、真夏でなくともきつい。しかもそれが何日も続いたりすると、体力だけでなくいろんなものが削られていく。現場は年内いっぱい続くらしい。もつかね?
   今日は久しぶりに早く終わったので、大喜びで映画館に向かった。ブラジルの高校生が政府の公立校削減案に学校や道路を占拠して対抗するドキュメンタリー、『これは君の闘争だ』を見に行ったのだ。大当りだった。とても同時代とは思えない活発な運動がそこにあった。この国は圧倒的に取り残されているのだろう。僕はそれを嘆いていられる年齢では最早ない。お前今まで何やってたんだ!と追究される側だ。
   画面にはアナーキズムを示す○の中にAと書かれた黒旗がひるがえりまくり、十代の若者たちが飛び回っている。彼らは事の本質が明確に階級問題であることを理解している。高揚して見ていたが、最後に思い切り水をぶっかけられた。自覚的に世代交代をしている姿が映っていた。道路を埋め尽くすデモ隊も、拡がっていく学校の占拠も政府案の撤回も、映画に映っているのは僕たちには出来ないことばかりだが何より衝撃だったのはここだ。僕(たち)は仲間を増やすことはもちろん、世代交代にも失敗し続けている。僕たちの運動など比較にならないのだと思い知らされた。

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(511)ブックス吉原閉店

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(一人親方)(511)ブックス吉原閉店
加藤匡通
十一月×日(月)
 母の通院で仕事を休んだ。今の現場になってから、人手が足りなくてどうにか回しているのはとてもよくわかるので休みを取るのに気を使うようになっている。医者通いでしか休んでいない。僕としては大変な気の使いようだ。
 昼しか休めず残業までしているのになんで現場の事情を斟酌せにゃならんのか!とは思うものの人手が足りてないから休憩も取れない訳で、この上現場で働く仲間に迷惑をかけるのも、と思ってしまうのだ。全く賃金奴隷もいいとこだな。
    医者の後に、久し振りで置きビラをした。いや、板東まで足を伸ばして店晒しになっているフーコーを買いに行った、かな。この場合、どっちが主目的なのか、最早わからない。しかし道中不安しか感じない。がらがらになった店内の様子が思い出される。まだ続いているだろうか。
    案の定、たどり着いたブックス吉原は開いてなかった。ガラス越しの店内に本はない。入り口の貼り紙には「6月末にて閉店」とあった。六月かあ。間に合わなかった。ああ。
    僕が茨城に来たのは〇五年の秋だが本屋を探してうろうろし始めたのは一年以上後になってからだ。その時で板東市の、と言うか旧岩井市の中心部には本屋が二軒あった。一軒は一年程で閉店してまったと思う。それから十年以上、それでも持ちこたえていたのだ。新型感染症が最後の一押しになったのだろうか。
    旧岩井市の中心部には何年か前にTSUTAYAが出来た。だから、つくばみらい市のように本屋がゼロになった訳ではない。とは言え棚に同じ本を何冊も並べて平然としている大資本の連鎖店はまるで面白くなく、怒りさえ憶える。そんな店で買うよりは、街の小さな店で、と思うものの僕の生活圏にそういった店はほぼない。くうう。