茨城不安定労働組合

誰でも入れるひとりでも入れる労働組合である茨城不安定労働組合のブログです。

日雇い派遣日記(25)

            加藤匡通

四月××日(金)  ゴールデンウィーク(中篇)

 先日「明日は休み」と嘆いていたが朝起きたら土砂降りだった。仕事がなくてほっとした。金が入らないのは困るがずぶ濡れで作業というこの間のパターンもやだ。これはただのわがままだろうか。
 年末年始、盆休みと並んでゴールデンウィークは現場の日雇労働者にとって仕事のない、したがって収入のないつらい時期である。その点では一つの職種に限定されていない日雇派遣の方がまだましかもしれない。盆など専門職は会社がそもそも休みになってしまうが日雇派遣の会社でそれはないし、現場が一斉に休むという程ではなかったから仕事はあった。けど年末年始とGWはやっぱり厳しい。年末年始は言うに及ばず、GWも引渡しが迫っていたりする現場に続けて入れているのならともかく、よくて暦通り、悪ければ平日も数日休みになってしまう。だから四月になって続きの現場に入れそうにないとなれば求人誌買って連休にやってる日払い仕事を探して、とにかく何日か働くようにしていた。他人のことは分からないが僕は長期休暇に耐えられるような状況に、日雇派遣になってからあったためしがない。見事に自転車操業だ。働き始めてからの期間で、茨城に来ての五年はGWを休暇として使えた例外的な期間だった。会社員時代だってGWは仕事をする期間だったのだ。
 この時期どんな仕事をしていたかよく覚えていないが、ぱっと思い出せるのは事務所移転の夜勤だ。日当七千円くらいで大手町のオフィスビルで机やロッカーを台車でごろごろ、エレベーターで下ろして車に積み込む。僕のようにGWだけ来ている者もいれば、毎日その仕事に入っている者もいた。体力的には楽な現場仕事って感じだったけど、夜勤だと昼間がつらいので、それにそもそも日当が安いので続ける気にはならなかったな。
 四月五月は建設現場の仕事が減る端境期だが、日雇派遣で本格的に仕事がない思いをしたことは去年までなかった。会社はどうにか僕らが離れない程度には仕事を回してきていた。だから引越しに行ったり、よその派遣の下請けになったり(二重派遣は禁止されているが仕事がないと派遣会社同士で融通しあってたみたいだ)と色々会ったがそんなに休まされた記憶はない。むしろ土工の時はよく休ませられたが、これは僕に問題がある。いやいやそれはともかく。去年は会社を閉めて、五月下旬から日雇派遣に復帰しようと思っていたら七月中旬までまともに仕事がなくて週二日程度。久しぶりで毎日出てた訳じゃないからこんな扱いなのかと、後日現場で一緒になった同じ会社の派遣仲間に聞くとどんなベテランでもそうだったと聞いて驚いた。リーマンショック、ほんとに効いてるよ。
 「明日休み」の夕方、日雇派遣の会社に二ヶ月ぶりで電話してみた。もちろん仕事に出たいからだ。とはいえこの時期に仕事があるとは思ってはいない。「明日仕事あります?」「ないっす」「今年は去年と比べてどーすか」「去年より逃げ足速いっす」・・・つーことはまた週二日かよ。聞いたら会社の事務所も新宿から神田に移転したんだとか。去年五年ぶりで復帰したら都内に数ヶ所あった支店が秋葉原と新宿だけになり、夏には秋葉原も閉鎖とスリリングな展開になっている。この先もっとスリリングな展開が待っているのか?会社がなくなったら他所へ移ればいいっていう話ではあるが、働いてた日雇派遣の仲間がどうなっているのかと思うと。