茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(一人親方)(443)現場都合の夏休み

賃金奴隷な日々  日雇派遣日記(一人親方)(443)現場都合の夏休み
加藤匡通
八月×日(金)
    夏休みと言う程の休みはもう何年も取っていない。弾圧されて強制的に仕事を休まされたのが、大学卒業後では一番長い夏休みだが、それは賃労働から解放されていただけで自由はないので全く嬉しくはない。外構屋時代はスケジュールを自分たちの都合で選べたので数日まとめて取っていた。日雇派遣に比べれば金はあったので休んでもどうにかなっていたのだ。それで言えば紛い物の経営者時代、いやその前の父の下で働いていた、つまり茨城に移って来てからしばらくの間は数日だが夏休みを取れていた。スケジュールを自分で調整出来たからだ。経営者時代も自転車操業とは言え、金がなくても事務所兼住居の維持費だけは用意出来たから、休むことは出来た。
    日雇派遣だとそうはいかない。休みは自分のスケジュールで会社や現場の都合はほぼ無視して取っていたが、当たり前とは言え家賃も光熱費も工面しなきゃならない。夏休みなんて何日も取れない。長らく一年の中心だった八月十五日と、もう一日か二日あるかどうかだ。何日も休めば、夏の暑さのせいではなく、経済的に干上がってしまう。盆休みの期間でも動いている現場はあったし、出たい時にはどうにか仕事が回ってくる程度には派遣会社から評価もされていた。
    派遣会社からV社に移って.盆休みの期間中はどうなるのかと思っていた。例年は学校改修などの仕事を取って来て、スーパーゼネコンの現場が休みになっても仕事が切れないようにしていたと聞いていた。どうも社長は鮫や鮪のように泳ぎ続けていないと死んでしまうらしい。
  ところが今年は失敗して、現場が一斉に盆休みに入る明日から夏休みだと言う。そ、それはまた色々と支払い計画が。
    ともあれ休みは休みだ。ゆっくりするさ。まず明日は学習会のレジュメを切って、明後日は学習会をやって。なんだ、やっぱり運動ばっかりか。