茨城不安定労働組合

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賃金奴隷な日々 日雇派遣日記(常雇?)(436)だがこれは抵抗ではない

賃金奴隷な日々  日雇派遣日記(常雇?)(436)ざまあみろ、だがこれは抵抗ではない
加藤匡通
五月×日(金)
    十連休中も今通っている現場は動いているので何日か仕事に行く。普段は始発と言えども僕が乗る駅はともかく隣の守谷で座席はいっぱいになるけど、流石に埋まらない。客も仕事に行くと言うより遊びに行く方が多そうだ。
    連休にも関わらず四月末日と五月初日は夕刊があって、嫌な感じがしながらめくってみると案の定提灯持ちのような記事ばかりで読めるところがなかった。こんなぺらっぺらな紙切れに金を払う気にはならないよ。朝刊は朝刊で天皇制礼賛全面広告と提灯持ちの抱き合わせでこれまたぺらっぺらである。何でこんなもんに金払わにゃならんのだ。君たちは奴隷かもしれないが俺は奴隷じゃないぞ。こんなもんに付き合う謂れはない。
    レンタルビデオ屋に、取り寄せのDVDを借りに行った。ツタヤである。人手不足なのかAIが仕事を奪うのか知らないが、ここでもセルフレジが基本になっている。けど取り寄せとかはセルフじゃ無理なので、有人のレジに行く。すると、DVDを渡される際に言われた。「レンタル用の袋が出払っているのでこちらでもよろしいですか?」こちらとは本を入れるビニールの手提げ袋だった。こうしたレンタル屋は商品をタグで管理していて、タグを外していなかったり商品が剥き出しだったりすると、出入口に備え付けてある機械が警報を鳴らすようになっている。あれは磁気に反応しているのか?その警報を防ぐために磁気を遮断する特殊な袋に商品を入れている、その袋が足りなくなっているのだと。翌日は新天皇の即位日、テレビは二、三日あたり前からそんな番組ばかりになっている。言われて棚を見てみると、確かに随分借りられてる。
  これは三十年前と同じと言うことでは?三十年前の天皇代替わりではヒロヒトの死が延々と引き延ばされ、一月七日早朝、その死が公表されるとそのままテレビは特別編成に入りコマーシャルも挟まずどこの局も似たような天皇礼賛番組を放送した。見る番組のなくなった人々はレンタルビデオ屋に走り、ビデオが片っ端から貸し出し中になったのは、当時散々報道された有名な話である。まだインターネットも普及しておらずテレビの地位は今より遥かに高かく、レンタルビデオの全盛期で街には個人営業の店舗がたくさんあった頃の話だ。 だからレンタルビデオ屋の棚が空っぽになると言うのは今より大きなインパクトがあった(ちなみにその頃僕の家にはまだビデオデッキが到達しておらず、従って僕はレンタルビデオ屋に行く理由も習慣もなかったので棚が空っぽになった話は報道でしか知らない。)。これが三十年前と同じ現象なら、ざまあみろ、だ。
    十連休でレンタルに走る可能性もなくはない。その後数回ツタヤに行ってみたが、ツタヤの白いビニールの手提げ袋がセルフレジの下に並んでいたのは一日がピークだった。やっぱり代替わり関連の特番見たくないんだろ、これは。ただ、今のところこういった話はどこでも見かけていないんだけど、どうしてなんだろう?極めて局地的な現象なのか?
 けど、これは抵抗じゃない。抵抗になるのはこの先だ。