茨城不安定労働組合

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日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(496)『イデオン』を見て早朝の街中に放り出される

日雇派遣日記 賃金奴隷な日々(日雇)(496)『イデオン』を見て早朝の街中に放り出される
加藤匡通
四月×日(金)
    二十何年振りかに池袋のシネコンで『伝説巨神イデオン接触篇・発動篇』を見た。ネットカフェで上映に気付いた時は思わず声を上げたよ。公開当時は「ダブルリリース」、要は二本立で一挙公開と唱っていたのに今回は『接触篇』『発動篇』を一本ずつとして二本分の料金、しかも音響のいいスクリーンで上映するので特別料金で一本二千百円。元があの時代のテレビなんだからモノラルじゃないかと思うんだけど、とにかく劇場で『イデオン』が見られるんならいいや。
    親しい友人は旧『エヴァ』劇場版の凄惨なネルフ基地殲滅戦を「『イデオン』見てたからそんなに凄いとは思わなかった」と言っていたが、確かに『発動篇』は凄まじい。主人公と心を通わせた少女の首が爆発で画面を横切りタイトルが出る冒頭から言葉を失うが、物語は容赦なく進行し、白兵戦でヒロインの顔面に銃弾が撃ち込まれ、幼女の頭が吹っ飛ぶ、「皆殺しの富野」そのものの展開である。それでも、と言うかそれだからこそコスモの「こんな甲斐のない生き方なんて、俺は認めないぞ。」やカーシャの「じゃあ私たちは何のために生まれてきたの!」と言う台詞は今でも激しく僕の胸を打つ。「あの時代、 僕たちにとって作家とは富野のことではなかったか」とは山田玲司の言葉だが、確かに八十年代のアニメファン、SFファンにとって作家とは誰よりも富野喜幸のことだったと思う。
    さて、劇場版『伝説巨神イデオン』は三時間を越える大作で、終映は十時半近い。それから家に帰ると十二時近くで翌朝四時起き六時十五分事務所集合はかなり辛いので、ネットカフェに泊まった。いくつまでこんなことしてるかね?映画とネットカフェで日当の半分がなくなっている。しかし『イデオン』なら仕方ない。
    で、翌朝六時過ぎに事務所に着いて、その日の割り振りを見ると、僕は現場名の次が「自」となっている。普段は現場名の次は乗る車のナンバープレートの末尾二桁の番号だ。番頭に聞いてみた。「これは自転車です。加藤さん今日現場近くだから自転車で。ああ、自転車少ないから歩いて行って下さい。今地図だします。どっかで適当に時間潰してていいですよ。」適当に時間潰せって、繁華街じゃないんだから、朝の六時から開いてる店なんてないだろうが。大体新型感染症の状況下、ファミレスだって開いてねえよ。確かに現場は歩いても十分もかからなかったさ。しかしこれでどうしろと?仕方ないのでまだ寒い中、公園のベンチで本を読んだ。ネットカフェに泊まり込んだのにこんな目に会うとは。
    作業は根切り、建物の基礎の掘削だった。五人の内二人はユンボについて掘削、残り三人は出た土の埋め戻し。ところが戻す先は既に基礎のコンクリが打たれた脇でとても狭い。鉄筋出てるし上にも色々組んであって、これ埋め戻すの大変じゃないの?監督が何も考えてないのは明らかだ。
    掘った土をダンプが持って来て道路の上に敷いたブルーシートにコンパネ乗っけた上に空けていく。三人で半分も埋め戻したらまたダンプが来る。賽の河原か!
    十時過ぎに応援が二人やって来た。他の現場で空振りして回って来たらしい。応援の職人は埋め戻しを見るなり「シュート必要だろ。」と言い、事務所に取りに行った。シュートは円筒を縦に半分に割った、まあ滑り台と思っていい。ただし滑るのは主に生コンである。シュートを使って土を流し込めと。ああ、それはいい手だ。
    結局五人で賽の河原を丸一日昼以外休みも取らずに処理し続けた。これ、明らかに土の量間違えてる。人数も間違ってる。最初の人数だったら何時になっても終わらないぞ。
    事務所に戻ると明日の割り振りが出ていた。今日と同じ現場になっている。なら明朝事務所に遅く行ってもよさそうなものだが、この会社に来た初日に職人から言われた。「前の日に見た場割りは当てにしない方がいいよ。番頭の気分次第でころころ変わるから。」
    もちろん今朝、六時過ぎに事務所に着くと、昨日と同じ現場になっていた。現場は小さくて詰所なんかない。さて、どこで時間を潰そうか?